松田聖子のポスターと「男・女」という偽装

Imamu2006-10-12

性同一性障害を扱ったドラマ「私が私であるために

http://www.ntv.co.jp/d-complex/contents/20061010_m.html
録画していたドラマ「私が私であるために」(2006/10/10に日本テレビ系列で放送)を見た。


このドラマの主人公は「心は女性だが身体は男性」であるらしい。
ドラマを見た印象だと[sex=男][gender-identity=女][sexual-orientation=男]
つまり、MtF(Male to Female)のトランスジェンダーということみたいだ。


ドラマでは彼(ではなく彼女)は性同一性障害として扱われている。
「心は女」であり「ホルモン異常等の原因で間違って男の身体に生まれてしまった」ので
性別適合手術(いわゆる性転換手術)をするかどうかが重要な問題ということになっていた。
結局このドラマでは手術を決意する段階で話は終わっていたので
手術後の葛藤があるのかとか、そういったことは解らなかったが、その問題はここでは割愛する。



何故、松田聖子のポスターが使用されたのか

ドラマにおいて印象的だったのは、彼女の部屋のシーンにおいて
松田聖子のポスターを貼っていたこと」だった。
もう、録画したドラマのデータは消してしまったので、具体的にどんなポスターだったかは
思い出せないが、そのポスターはアイドル全盛期の松田聖子であったことは確かだ。


これを見たとき、私は奇妙な違和感を覚えた。
単に小道具としてポスターを貼るのなら、旬のアイドルなどを使えばすむ話だ。
何故、わざわざ80年代のアイドルである松田聖子のポスターを使用したのであろうか。


松田聖子>は「完璧に作られたアイドルの象徴」であり
虚構としての女性性のパフォーマンス」のある種の完成形とも言える。


彼女が「心は女」であり「ホルモン異常等の原因で間違って男の身体に生まれてしまった」のであれば
何故、彼女は<松田聖子>という虚構を家のポスターに貼らなければならないのであろうか。
どうでも良いことかもしれないが、何となく引っかかった。



戯画化された女性性のパフォーマンスとしてのアイドル


私は彼女の部屋に松田聖子のポスターが貼ってある意味をこう考えた。
つまり、<女>としての振る舞いというのは
意図的にせよ無意識的にせよ、全てがパフォーマンスとしてあるのではないか?
ということだ。


従って、<男>として生まれ育てられてきてしまった彼女が
<女>として振る舞うために、解りやすい女性性のパフォーマンスのお手本として
松田聖子>を選んだ
のではなかろうか。
実際に、彼女はいかにも「女の子です」といったピンクでフリフリの洋服を着ているし、
彼女の来歴(本当は男)を知らない人からは完全に<女>だと見られていた。
彼女は<女>らしく振る舞うことに成功しているのだ。いわゆる「完パス」である。
*1


だから、医学的な「心は女だが・・・」という類の説明は
実質的にはあまり意味をなさないような気がしてならない。*2
何故なら、彼女の<女>らしさを装う戦術の一環として
虚構のアイドルシュミレーションであるはずの<松田聖子>を取り込んでいる
からだ。



全ての人は男/女であることを偽装している

普通と言われる<男>/<女>の人たちも社会的・文化的な制約の中で
ある程度パフォーマンスとしての振る舞いを行っていることは間違いないだろう。


このドラマを見て感じたことは
<男>あるいは<女>をいかに偽装するかという問題は
性同一性障害」の人だけに限られたものではなく
自分が<男>あるいは<女>だと信じて疑っていない人にも通じるものかもしれないということだ。


全ての人間は常にその文化や社会に合わせた男装or女装をしている



というバカな妄想は終わりにして本題に入ると

主人公、朝比奈ひかる役の相沢咲姫楽(あいざわ さきら)さんはものすごく可愛かったです。
後、ドラマの出演者には他に二人のMtFの当事者が出られていましたね。*3
皆さん、綺麗で何なんだろうと思いましたw
かわいいは正義>って奴ですね。汚い私は死ねばいいと思いました。

雑記:今期のアニメ作品。「オトボク」はどうなのさ

男/女であることを偽装するというテーマに触れるのは
乙女はお姉さまに恋してる」だけど、どうなるのか?
原作?は全く知らないから、何とも言えないが。
かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜」と同じく地雷を踏むことになのか?そうなのかぁ?
後、自己評価が極めて低い女の子がカッコイイ王子様に承認されることで成長するのか?
といった感じの「ヤマトナデシコ七変化」は何か見ちゃうね。



2006/10/15追記:中村中さんのインタビュー記事−ノンセクシャル/アンビバレント//性の多様性/思想の多様性

http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20061014
ブログ版 Queer Music Experience. 友達と呼ばれるだけで上出来


上記の二つのサイト様を読んだだけで、現物を見てないのですが
『yes』という雑誌の第4号に中村中さんのインタビュー記事(『nonsexualを告白』)があるそうですね。
孫引きで申し訳ないのですが

戸籍上は男だが、自分ではそれに違和感を持っている。“男”という自覚はないし、“女”という実感もない。

という部分は割と重要な気がしました。
だからやっぱり<男>/<女>なんて人間という土台*4の上にある建築物でしかなくて
生まれた時から植え付けられているモノではないんじゃないの?と妄言を吐きたくなります。


それはともかく、上記二つのサイト様の記事はとても参考になりました。

2006/10/15追記:はてブに「私が私であるために」のタグを作った

余り固有名詞のタグを付けたくなかったが、後で検索しやすくするために。


・医者がいきなり手術を薦めるのはおかしいという意見
・カミングアウトしただけで問題は解決するのか
・ドラマ内のMtF当事者がほぼ完璧にパッシング出来ていることについて(ホルモン注射は?etc...)
・マイノリティ(もしくは障害者)の就労問題
・相沢咲姫楽さんで検索してる人多いなぁ。and本人様のサイト閉鎖されてますね問題


などなど、色々あって面白かったです。久々にネットサーフィンしました(死語)



参考にしたブログ等

・「山本 蘭の活動日誌」:性同一性障害に造詣の深い方がこのドラマに関わっていたようですね
http://blog.rany.jp/?eid=428440


・画像はアマゾンの「渚のバルコニー (CCCD)」を使用
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001FAFZE/hatena-22/ref=nosim

*1:因みに主人公、朝比奈ひかる役の相沢咲姫楽氏は実際にMtF当事者であるらしい

*2:勿論、当事者にとっては医学的な説明はそれはそれで意味のあるものになるであろう。

*3:蓮見凛役の中村中(なかむらあたる)さんとami役の竹内亜美(たけうち あみ)さん

*4:この土台も怪しいけど