久住小春/月島きらり。東浩紀的、あまりに斎藤環的

正直、ハロプロ関係に疎い。知識も殆どない。
では、何故今更興味を持ったかといえば「きらりん☆レボリューション」の存在が大きい。
既に、週一回は現オープニングテーマ曲「バラライカ」の映像を見ないと死んでしまう身体になっている。
きっとあの夜宇宙人にさらわれて、そういう身体に改造されたのであろう。
だってあの日以降、頭の中でバラライカのメロディが聴こえない日はないんだもんモン( ^ω^)

まだ、久住小春/月島きらりについて
自分の中で上手く纏めきれていないので(これも宇宙人のせいだと思われる)
資料を切り貼りするという如何にもヒップホッパーなDJ気取りでいく。引用元の方々に感謝であります。


天野太郎「増幅するアイドル像」(横浜美術館・展覧会「アイドル!」の図録 pp.84-87)

横浜美術館

アイドル=偶像が、今やオリジナルなきコピーの再生産を繰り返していることは特筆されるべきだろう。
本展における「オシャレ魔女 ラブ and ベリー」、「きらりん☆レボリューション」を見ても、
それぞれのイメージは、当初から練られた市場戦略の中で、
多様なメディア(ゲーム、コミック誌、アニメーション等)による露出が繰り返されている。
(中略)
きらりん☆レボリューション」の内容は、中学校2年生の主人公月島きらりが、
人気アイドルグループSHIPSのメンバーに入れ込むあまり自らもアイドルをめざすというもの。
また、アニメでは、主人公月島きらりの声優として、またオープニング、エンディングを
モーニング娘久住小春が担当しており、ここでも、新たなアイドルが誕生するという仕立てになっている。

続いて、天野氏は現在のアイドル像を巡る二つの欲望とその共存を論じている。以下に整理する。

1.世界を表す大きなストーリーやシステムを欲望

全体像を夢見て一つ一つのピースをはめ込む
(ゲーム、マンガ、アニメ等、個々のコンテンツを通じてストーリ全体を見ようとする)

2.キャラ萌えに代表される象徴される断片への偏愛

ストーリー全体よりもキャラクターを抜き出して愛でる消費パターン


これは、明らかに東浩紀動物化するポストモダン』の中で語られている
「小さな物語への欲求」と「大きな非物語への欲望」の解離的な共存』(東 2001:p158)を
意識して書かれたものであろう。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

因みに、東は一つの仮説として、この両者は「過視的な関係で繋がっている」のではないかと論じている。
過視的とは「見えないものをどこまでも見えるものにしようとし、しかもその試みが止まることがない」
そんな泥沼の状態を指す東の造語であり、「郵便的不安」という概念とも関連するものである。
アイドルを巡る永遠に終わることのない無限消費を考える上で、ヒントになるかもしれない。


余談だが、東がキャラ萌えにおける消費行動を分析している箇所は
アイドル現象の側面で考えることはできるのかどうか。
東の分析の枠組み自体の適切さという点を一先ず置いたとしても、検討する価値はあるのではないかと考えている。

特定のキャラクターに「萌える」という消費行動には、盲目的な没入とともに、
その対象を萌え要素分解し、データベースのなかで相対化してしまうような
奇妙に冷静な側面が隠されている。

オタクたちの萌えの感覚は、つねにキャラクターの水準と萌え要素の水準のあいだで
二重化されており、だからこそ、彼らは萌えの対象をつぎつぎとかえることができる

ある特定のアイドルに盲目的に没入し、そして、対象を変えてまた没入する。
この無間地獄を、何時まで続ければ気が済むのだ。(死ぬまでだ)



久住小春(三次元)と月島きらり(二次元)の関係をどう捉えればよいのだろうか?

両者とも虚構である!なのですよ
・activeエレン - 2x 二次元が三次元に侵食された感じがする 多重見当識を越える久住小春による革命

アイドルとは、それそのものが、見るもの(オタク)にとっては「架空の存在」である。
ヲタは、必ずといって良いほど、対象となるアイドルに対して「自分なりのアイドル像」を作りあげてしまう。
(中略)
月島きらりもまた「架空の」キャラである。なにせアニメなのだからそこを疑う者はいないだろう。
(中略)
久住小春は架空のキャラであり、架空のキャラが架空のキャラを演じることとは、メタ現象の可視化なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/eal/20061109/p2

こちらは斎藤環の『戦闘美少女の精神分析』を絡めている。私は斎藤の文章を理解する実力がないので
久住小春が「多重見当識を越える」という意味が読み取れなかった。今後の課題としておく。

自分の立場の理解を「見当識」と言い(中略)おたくはさまざまな虚構コンテクスト間を自在にジャンプし
(中略)
つまりおたくは、「二重」ならぬ「多重見当識」を持つと比喩的に言うことができる。

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)


もう少し単純化すると以下のような語りができるだろう。
舞波物語: 舞波の誕生日に 〜辞めた舞波のメタ舞波

アイドルがアイドルを演じる月島きらり久住小春はメタアイドルか。
きらりを演じる小春ではなくきらりそのものとして出演している時に感じた凄さは
メタ的な高次から伝わってくるものだったということか。
http://strawberryz.seesaa.net/article/27877858.html

アイドルはアニメやマンガと違い実体がある。
だがしかし、アイドルはメディアを通して、コンテンツ化されて、アイドルヲタに届けられる。
もはや「二次元/三次元」という対立だけで考えることには限界があるような気がする。



そもそも、モーニング娘。そして久住小春は「萌え」と親和性が高いのか?

さて、上記までは月島きらり/久住小春の視点で考えてきたが
どうやら、久住小春の存在自体がそして、モーニング娘。という集団自体が複雑なものであるようだ。

・ヲタで卒論 〜斧屋のヲタ日記〜 - このままがいい…?

辻とか紺野とか道重とか、今は久住とか、
アニメのキャラに親和性を持つようなメンバーにこそ「萌え」という語が使われれやすい気がする
http://d.hatena.ne.jp/onoya/20061004/1159990380


・activeエレン - 2-07b メンバーが萌え(=キャラ)に自覚的である点について(下書き)

モーニング娘。になる」ということとは、メンバー各自「キャラとして立つ」ことが宿命となるということ
(中略)
辻希美紺野あさ美道重さゆみの流れは、まさに萌えキャラの実体化だった
http://d.hatena.ne.jp/eal/20061024/p1

「実体のあるアイドル産業?」/「実体がないマンガ・アニメ・ゲーム等?」超越??

・ゾミ夫(うさちゃんピースを見て飛んでくるUFOが夕日に照らされている)-GAMメロディーズシングルV

なぜたいして「まりみて」読者とかぶっているとも思えない
ハロプロファンの買うシングルVに、女同士のキスシーンが入っているのか?
http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20061122#p4

マリみて」を見る心理(一部)とハロプロファンの心理(一部)は繋がるのか?


・activeエレン - 2-04-02 モーオタとは誰のことか アニメオタクとモーオタの相似性について

対象が実在するかどうかはたいした問題ではない。なぜなら彼女たちは等しく「アイドル」だからだ
(中略)
なぜ、とりわけ美少女でもない普通の少女たちが、まるでセーラームーンのように消費されているのか。
それこそが、おそらく、萌えの本質であると確信する。
http://d.hatena.ne.jp/eal/20060919/1158670861


・ヲタで卒論 〜斧屋のヲタ日記〜 - 円環的イメージで捉えるヲタ

アイドルとかかわる以上、「実在×虚構」「客観×主観」「没入×シニカル」「マジヲタ×DD」
「崇拝×消費」「神×人間」「権威×ネタ」っていうような二項の混在っていうのは避けられないんだなと
http://d.hatena.ne.jp/onoya/20060924


結論がないまま終わる。