「キラキラした人」と感情語使用頻度(カワイイ/キモイ)。「しょこたん語・こりん星語」の儀式性

A2「キラキラした人」は感情語(例:カワイイ/キモイ)を頻繁に使用するなぁ

私は、愚鈍で感情表現に乏しいクソ人間だ。従って「キラキラした人」と会話しなければいけない時は
意識して「感情表現に関する言葉」(例:カワイイ/キモイ)を多用するように努力する。
特に「生理学的な感覚」に根差したコトバや、強い情動を示すコトバなどを利用することは
「キラキラした人」とそつなく意思疎通する処世術としては効果的だと思っている。
(アカルイ、クライ、カルイ、オモイ、アツイ、サムイ、キレイ、ヤワラカイ、キタナイ・・・)


自分が「どう感じているかor何も感じていないか」などは全く関係ない。
ただ、感情語を上手に利用すれば「キラキラした人」に<人間>として認識されやすい。

B1中川翔子の「しょこたん語」と小倉優子の「こりん星語」

しょこたん」ことアイドルの中川翔子氏は
「カワイイ」と言いたい時、代わりに「カワユスなぁ」と言う。
カワユスなぁ」なんて、意識しなければ出てこない言葉だ。


ゆうこりん」ことアイドルの小倉優子氏(ベタこりん星時代)は
「こんにちは」と言いたい時、代わりに「こんにちはりんこ」と言う。
こんにちはりんこ」なんて、意識しなければ出てこない言葉だ。
(現在はメタこりん星時代であるので、この限りではない)


勿論、これらの言葉は彼女たちのオリジナルというわけではなく
ネットや少女漫画や先輩アイドルなどからヒントを得て、パッチワークされたものであろう。
従って「しょこたん語」や「こりん星語」を好意的に受け取るためには
パッチワーク元の文化的コンテクスト(例えばネット独特の語など)に慣れていて
尚且つ、彼女たちのコトバが「引用の集積」であることを許容しなければ*1いけないのだ。

A3「しょこたん語」「こりん星語」と同じくらい「キラキラした人の感情表現のコトバ」もキモイ

はっきり言って、「しょこたん語」や「こりん星語」は異様だ。
だが、異様なのは彼女たちのコトバだけなのか?
愚鈍でクズな生物である私には、外で会う「普通の」でも「キラキラした人」のコトバも異様に感じる。
なぜ、そんなに表情豊かなのか?なぜ、そんなに興奮しているのか?
なにが、そんなに楽しいのだろうか?なにが、そんなに悲しいのだろうか?

B2「しょこたん語」「こりん星語」の儀式性の高さ

何故、中川翔子小倉優子
普通に会話するには不必要な、特殊なコトバをわざわざ使用しているのだろうか?


正解は彼女たちにしか解らない*2のだろう。
だから、これから書くことは私の個人的な妄想でしかない。


しょこたん語」や「こりん星語」には一定のパターンがあり形式がある。
だから、ある発話に対して「どういう反応をするか」と悩んでしまうような状況になった際は
「形式的な反応の集合」の中から、どれかを選択すればいいわけである。
このように、ある形式に従って他者とコミュニケーションすることは「悩まずにすむ」から「楽」だ。


なので、「しょこたん語」や「こりん星語」を使用するということは
ファンタジー・メルヘン的想像力を元にした
儀式性の高いコミュニケーションを行なうこと(一方的に)なのかもしれない

A4「キラキラした人」の感情表現のコトバも一種の儀式である

中川翔子氏や小倉優子氏のような特殊例を考えることで
逆に普段、私が何とかカンとか、行なっている「キラキラした人」との会話とは何なのか見えてくる。
つまり、「キラキラした人」たちは
感情語を使って儀式性の高いコミュニケーションを行なっているのである。


だから「キラキラした人」と会話する時は、この儀式に則ってあげればよいのだ。
「キラキラ星人」との会話において、彼らがどんな対象に対して「カワイイ〜」と言っているのか注意して
同じように「カワイイ〜」と言ってあげればよいのだ。本当は何も思ってなくとも。
知的な語彙を使用したり論理的な物言いをしてはいけない。
体感的なノリの良いコトバで攻めていけ。

A〜B:参考資料『なぜ「かわいい」が氾濫するのか』・『「かわいい」とは「ベタ」である?』

「かわいい」存在を担保にすること、あるいは自ら「かわいく」振るまうこと(幼稚化)で、
コミュニケーションを円滑に進める。このような意味で、「かわいい」は現代のマジックワードである。
(まなざしの快楽 - 『なぜ「かわいい」が氾濫するのか』より)

女性達はキャラクターグッズや、ファッションの「かわいい」に包まれる。
そして青少年たちはアイドル、オタク的アニメキャラクターの「かわいい」に「萌え」ている。
(同上)

この後、pikarrr様は「かわいい」の力を「ベタ」からくるモノだとしている。
「かわいい」の「ベタ」さは、「メタ」な儀礼的な態度、場の空気の読み合いのストレスからの解放であると。


確かに「かわいい」を上手に使用できる人はそうかもしれない。
だが、「かわいい」に乗れない人にとっては、「かわいいの儀式」もストレスになり得るのではなかろうか?
(正直、私はpikarrr様の文章を完全に理解できていないので、見当外れなことを書いている可能性が高い)

そのものを「ベタ」に「かわいい」と判断できるほど(中略)絶対的に価値がある場合(中略)「ベタ」に没入できる。
(中略)
はじめからそのものの価値を認めにくいものの場合、それとは距離をとって眺めることになる。
(中略)というのがここでのメタ的「かわいい」である。
(ヲタで卒論 -『「かわいい」とは「ベタ」である?』より)

だから、「メタ」と「ベタ」はあくまで相対的である。
「かわいい」に現実からの解放機能があることは間違いない。
ただ、それへのまなざしを送る視線がどこから放たれているかによって、
「メタ」と「ベタ」が流動的であることは重要なんではないかなと思います。
(同上)

解りやすいです。onoya様の洞察力に脱帽。
なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
「かわいい」とは「ベタ」である? - 斧屋のアイドル領域
引用させて頂いて申し訳ないです。有難う御座いました。



C1<女性的しぐさのイメージ>=曲線とクロス

一般に<女性的>だとされる動きの<しなやかさ>の特徴は「曲線とクロス」で表すことが出来る。
例えば、自分の右手側にあるモノを掴む時に
<右手>ではなく、敢えて<左手>で掴もうとすると、身体をねじらせる格好になる。
すると、結果的に身体が「曲線・クロス」を表現することになり、<女性的なしぐさ>だと受け取られやすい。

C2外性器の特徴(ペニスorクリトリス)は関係ない。<女性的なしぐさ>をするかどうか

だから、華奢で顔が小さくて内股で歩いているmana様(元マリスミゼル)とガクトが抱き合ったときに
「ギャァーギャァー(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)(゜∀゜)━━━━━━━━━━」と思ったのだと。


ラカン風に記述するならば「女は存在しない」「男は存在しない」

C3身体感覚についての性別規範:「女性=情緒的存在」/「男性=性的存在」

通常は「女性だから情緒的存在」/「男性だから性的存在」という順序で使われやすい。
この順序を逆にしてみたらどうだろう?「情緒的存在だから女性(的)」/「性的存在だから男性(的)」??


このような規範は「ある性別の人間のある振る舞い」に対する評価の基準として使われる。
(例1):<女性>が<性的存在>として振る舞うことは<古典的な貞操観念>に反する。
なので「女性が性的存在として振る舞う」と<古典的な貞操観念>を信じている人から非難される。
*3


(例2):<男性>が<情緒的存在>として振る舞うことは<古典的な男らしさのイメージ>に反する。
なので「男性が情緒的存在として振る舞う」と<古典的な男らしさのイメージ>を信じている人から非難される。
*4



A1人間なんてみんな死んじゃえばいいのに

しょこたん」も「ゆうこりん」もウソくさくてキモイ。
それと同じぐらい、いや、それ以上に「普通の女性」もウソくさくてキモイ。


「インテリ男」も「挙動不審なオタク男」もウソくさくてキモイ。
それと同じぐらい、いや、それ以上に「普通の男性」もウソくさくてキモイ。

*1:パクリじゃんか!と怒らずに、笑ってあげなければ

*2:もしくは彼女たちですら解らない

*3:ただし、現在は女性が性的存在として振る舞うことに対する抑圧は以前よりは減っていると思われる

*4:ただし、現在は例えば「夫の育児参加・家事参加」のような問題において、男性が「情緒的」に振る舞うことが求められる状況も発生している