トークセッション「ゴシック・ロリータ・日本」(樋口ヒロユキ・高原英理)メモ

Imamu2007-08-04

とき:2007/8/3/19:00~ ばしょ:ジュンク堂書店 新宿店
ないよう:『死想の血統』(冬弓舎)刊行記念トークイベント

死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学

死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学

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・ゴスイベント
東京:ダークキャッスル 関西:ブラックベイル


・『死想の血統』紹介
>カバー写真等の谷敦志の話etc.

フランケンシュタインの花嫁―三浦悦子人形作品集 (Pan‐Exotica)

フランケンシュタインの花嫁―三浦悦子人形作品集 (Pan‐Exotica)

>書いている最中は澁澤龍彦を敢えて読まなかった
>北鎌倉の澁澤龍彦のお墓に今日行ってきた


・『ゴシックハート』等紹介
>『ゴシックハート』-黒-理論的 / 『死想の血統』-白-実践的
>澁澤兄弟


・『死想の血統』書いている時に『ゴシックハート』『テクノゴシック』刊行。ヤバイ

ゴシックハート

ゴシックハート

テクノゴシック

テクノゴシック


・(高原氏)<文学の分野のゴシック>
>1978-1985:国書刊行会『ゴシック叢書』---古い18Cのゴシックロマンス
>>「1980'sの軽さ」「あっさり書いて下さい」
>1990's:京極夏彦大売れ


・(樋口氏)<関西>
>野ばらちゃん[嶽本野ばら]を産んだ関西
>>関西にいた頃のkey wordは「乙女」
>>>東京に行ってから「ゴス」的なものも強調するように
>(ストリートで取材していた感覚では)先に「少女」→後に「ゴシック」
>バウハウスは何時の間に「ゴシックロック」? 昔はポジパン[ポジティブ・パンク]だった


・(高原氏)
KERA!』の別冊『ゴシック&ロリータバイブル』
>取材するうちにだんだん格好が黒くなってきたから黒いので1冊作っちゃったという話?
・(樋口氏)
>気が付いたら「乙女」と「黒い人」に分かれていた
>野ばらちゃんが用意した。置き土産のような
>90年代半ばにロリータファッションブランド「メタモルフォーゼ」出来る
>>ロリータ服なのにサイズが大きいから男でも着れる


・(高原氏)<エンターテイメントの世界における感覚>
>1980's〜推理小説の「新本格派」の中のパンクファッション・生ける屍
>アニメやマンガはもっと前からあるだろう
>純文学は10年遅れて。金原ひとみetc.


・(樋口→高原へ質問)文芸評論から違う方向へ行ったのは何故?
>『無垢の力〈少年表象文学論〉』を書きたかった
>>先に「少女」をやってくれと注文される→『少女領域』
>この2冊で評論家としての仕事は終わり、次は好きなものだけで→『ゴシックハート』


・(樋口→高原へ質問)日本のゴスって海外に比べてダメなんじゃないかという意識
>各ジャンルの原典探しは無意味。ゴスなセンス(もの悲しい痛々しさ)を探すという方向
>室町辺り:説教節 江戸時代〜
>ゴシックロマンス=幻想の中世
>ヨハン・ホイジンガ『中世の秋』-極端さ
>「人権」概念発明以前


・(樋口氏)
>政治学にもゴシックという概念があるらしい
>モンテスキュー,「ゴシック政体論」
>ゴシック意識---ロマン主義ナチスという文脈から、ゴシックへの批判がある
>「わざと悪いことやって、<善い>を考え直すという諧謔」が解っていただけない


>鳥肌実:右翼パロ / ウヨク的若者:嫌がらせ
(高原氏)>ブリティッシュパンク:嫌がらせ


・(高原氏)
>ニーチェハイデガーは哲学の世界のゴス
>解釈の仕方によっては残酷なものへと繋がるようなものが人を惹きつける力を持つ


・(高原氏)<澁澤龍彦の話>
>60'sの澁澤龍彦-「異端」-サド
>60'sの澁澤の文章は突っ張っているものが多い
>70'sは恐い方向にはいかない
>1985第1回幻想文学新人賞受賞で受賞者(高原英理)と選考委員(澁澤龍彦)として会う
>その前に青木画廊で会ってる
>>何か訊いても「いい」「わるい」しか言わなかった。

澁澤龍彦は美術について書くことを好んでいたが、その書き方にはひとつの大きな特徴があった。
それはいつも自分の好きな対象だけをとりあげ、
その対象をなぜ自分が好むのかについて問いつづけたということだ。
といっても主観的な印象批評にはむかわず、客観性を保ちながら自己の好みを分析して、
特殊に見えてもじつは多くの人に通じているような気質や性向へと話をひろげ、
読者の共感・共有・共謀を誘うというやりかただった。


巖谷國士"澁澤龍彦の美術世界――序にかえて"『澁澤龍彦幻想美術館』平凡社,2007,p11)

澁澤龍彦 幻想美術館

澁澤龍彦 幻想美術館


・(樋口氏)<批評:語りすぎてはいけないのではないか>
>サルトルのジュネ論『聖ジュネ』のジャン・ジュネへの影響
・(高原氏)
>「批評の優位」という言説
>ジュネという作家をとるかサルトルという批評家をとるか


・(樋口氏)<ストリートのゴスロリの最近の話題>
「生パン追放運動」生パン派 vs ドロワーズ


・恐怖には夢がある


−−−−−−−−質疑応答−−−−−−−−
1:ゴスロリの女性性を忌避しているような言説があるが
ゴスロリセクシュアリティについて何かあれば?


(樋口氏)一括りには語れない。
個別では普通(セクシュアリティ)。集まると違うことも「お茶会」etc.
「オタクホモソサエティ説」と逆のような感じ


2:雨宮処凛についてどう思うか?


(高原氏)
彼女の本質はゴスで右翼でも左翼でも良かったが
左翼になってから思想の質が高まったので、左翼の方が彼女には合っているのかも。
この世界に対する違和感といった意識は正にゴスで
そういった意識とゴスロリ衣装が関係しているのか?


3:ゴスロリは鎖や鋲といった「男の不良」のような格好をするのは何故か?


(樋口氏)<男><女>というようり「どっちも振り切る」「極端さ」「過剰さ」
(高原氏)
>男っぽいと形容しているもの→パンク経由で日本に入ってきた
>ゴスの2系譜
>>吸血鬼っぽい衣装
>>フランケンシュタインの怪物のようなボロボロの衣装
>>>それと甘ロリ


4:ゴスロリは鎧のような衣装。衣装の自立性を感じる。
中身は問題じゃないというような。衣装の話についてもっと聞きたい。


(樋口氏)
>80年代(ボディ・コンシャスの時代)に
ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が
「エリザベス調にしか興味がない」と言い出してオカシイみんな思った。
まさかそれがこんなに人気になるとは。


>今のロリータ・ブランドは言い方は悪いがヴィヴィアンのコピーという部分がある。
>しかし「コピーであればこそ着ている」という部分がある。


>お化粧の仕方を知らなかったゴスロリちゃんもいた
>>「この衣装さえ着てればいい」というような部分は確かにある
>>だけど「あの娘らにはクリエイティビティがないというようなことだけは言いたくない」
>>>「創造性が無くて何が悪い」
(高原氏)
>小谷真理さんと話していて感じた
>>ゴシックロリータという形式において「コスプレ意識」か「これが私の魂」という意識かで違う


5:1990'sにエヴァ、オウム、自傷系といった形でその種の嗜好が流行った
ゴス的なものが流行った時代背景のようなものがもしあれば?


(樋口氏)
>「時代の病理」みたいな言い方はしたくない。人類が発生したときから人類は病的なんじゃないか
>「東京で緑が残っている場所」=「死と関連した場所」が多い。そういった嗜好は普遍的なもの
(高原氏)
>1980'sに無理があった
>1980'sにも1990'sと同じぐらいリストカッターはいただろう。
>それが注目されたのがたまたま90年代だっただけ
>自傷してみる(自殺とは違う)という行為は人類の発生とともにあったのでは


6:オタクxゴスロリについて。腐女子。マンガの二次製作。ヴィジュアル系バンドのマンガ同人誌・・・


(樋口氏)<最初からクロスオーバーしている>
>小谷真理さんはOSはオタクでアプリケーションとしてゴスが
>(ゴシック小説の先駆的作品『オトラント城奇譚』を書いた)
ホレス・ウォルポールの酔狂な趣味人という性格
→オタク的なものとゴシック的なものの根っこの同種性


>ただ、マーケットとして「オタク産業」は巨大化している
>(ゴス側が)陣地整えるまでオタク産業はちょっと待っててくれ


(高原氏)
>1980'sの言い方だと。オタクxサブカル
>サブカルの方にゴス的な感性のものが入っていた
>2000年代に入り「ゴスなものが好きなオタク」というかたちでクロスオーバーしているのでは
>オタク-現象 / ゴス-パラサイト


−−−−−−終−−−−−−−−

関連する以前の日記

"附.「ゴシック・ロリータ・プロパガンダゴスロリ系譜・歴(適当作成)"
http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20070716/p1

http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20070325/p1