「バラバラ-人体-傷-美しい」三浦悦子『聖体礼儀』

Imamu2007-03-19


0.覚醒剤は必要ない。最初からラリってるから


好奇心が私を殺した。手首切るの、もうやめなくちゃ。
絶対未来を優雅に飛ぶネコのために、切断した右足をプレゼントした。


恋を食べた不埒な者は盲目になる。いや、ナイフで目をえぐりとられただけか?
アミノ酸の連鎖から歪んだ立体構造が生成された。
透明な液体は光といっしょに闇も通した。プリュームみたいな軽やかさで。

「「夢」はいつか叶う」なんて言葉はもう聴き飽きた
「希望」なんて言葉簡単に口にする偽善者よ死んでくれ
「孤独」しか存在しないこの場所に何を求めればいい?
「絶望」しか存在しない場所で何を探せばいい?

ムック「絶望」の歌詞より)

「仕方がなかった。」 欠落者に彼は答えを与えた
(中略)
賢者の都合のいいように創られた 僕等は排除された「仕方がない」と。

ムック「輝く世界」の歌詞より)

1.三浦悦子『聖体礼儀』−記憶の饗宴に行ってきたお(^ω^)


人形作家、三浦悦子の個展を見にいったーー。無機質な殺人現場の臭いがスル。


●1F:球体人形が長方形のテーブルに配置されている。まるで晩餐会のように。
いや、そこにある人形は本当に「食べかけ」だよ。
身体のパーツがバラバラであったり、縫合されていたり、歪んでいるし。
無数のピンが突き刺され、目や口や腹を縫われ、欠損部位を金属でぎこちなく補う人形たち。
こりゃーすごいねぇ。ほんといいねえ。


●2F:がらんとした部屋にさりげなく置かれている人形。
目玉の位置がおかしいてソレ。そんなところに目は無かったはずでしょ。
いや、そもそも何で目は鼻の上・眉毛の下にあるのだろうか。


やなぎみわ『Fairly Tale 老少女綺譚』出版記念ショーイングも同時展示。
3点の展示だったが、巨大プリントで見れたので良かった。
以前、どこかの美術館で「エレベーターガール」(だっけ?)という作品を見たことがあった。


●入り口の外にも人形が展示してあった。来たときにちょっとビックリした。

  • 参考サイト・映像

††† 義躰展示室 + 三浦 悦子 †††


1.三浦悦子の人形の傷。身体の欠如。

加虐性はありますけど、私の世界観では、人形たち自らがやっていることでして。
<中略>
彼女たちは、片目が縫われてたり、人体がバラバラになっていることを自ら美しいと思っている。
そういう子たちの世界なんです。


(巻末対談:吉田良×三浦悦子「人体という舞台装置」『義躰少女―三浦悦子人形写真集』)
義躰少女―三浦悦子人形写真集


これに関連した素晴らしいまとめがあるので、まずはそちらを引用させていただきます。

たまごまごごはん - 身体欠如少女の憂鬱〜サイボーグ化できない少女達〜
  • 体の一部を失うことの、作品における意味。

とは言っても、身体の一部がないのは全て同じような描かれ方なのかと言うと、
かなり違うと思うので、いつものように私観で分けてみたいと思います。

1、戦闘を繰り返しているうちに、やむなく失ったという「戦いの証」
2、その少女の人生の悲惨さを物語る記号
3、失ったパーツそのものに、大きな意味がある。
4、身体を欠如しているというシチュエーションそのものが世界観を作っている。
5、身体を失った後、サイボーグとして活躍している。
 

欄外
精神そのものを失っている。または崩壊している。
人形、ロボット、人造人間。

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20061122/1164136621


三浦悦子氏の人形は私観では4番に近いと思われる。そこで、さらに引用させていただくと、

  • 体を取り戻せない少女達

ちょっと4にポイントを絞ってみます。

そういえばゴス系のコスプレイヤー達も、眼帯や包帯、
時には松葉杖や身体欠如の少女をテーマにしたコスプレをする人がいます。

<中略>
なぜ架空の世界でこのような記号が描かれるのか。

これもまた分類してみます。分類ばっかだな!とか言われるとその通りですスンマセン。
でもこうすると自分で考えまとめやすいのですヨ。

1、異端の象徴。私は普通じゃないですよ、特殊ですよという少女心理の証。
2、男性からみて性的な象徴としての身体欠如。
3、少女を特別な存在として捕らえている。少女像に生と性と死を描きこむ。

(同上)


三浦悦子氏は<女性>なので、2番の「男性からみて」という視点は希薄だと考えてもよいだろう。
後は、1番と3番が残る。ということで、中途半端だがここまでで考えを中断する。
「人形をつくる側」と「人形を見る側」は分けて考える必要があると思う。
そして、私は残念ながら「人形を見る側」の人間であり、また鈍感であるので「つくる側」の真意に迫ることは控える。


以下とても参考になった記事を引っ張ってきてしまいました。

想像力はベッドルームと路上から -
『別に身体部位が「欠如」している必要はない。〜「人造人間」は「出来損ないの僕」を代弁するか〜』

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20061201/p1


一人の「見る側」の人間として「身体欠如=能力の欠如の比喩」→「出来損ないの僕を投影」という流れは共感できる。
しかも、三浦悦子の人形たちは、どこか「自らの欠損」を誇っているかのように見えることがある。
それが「自己肯定感」の獲得になりうるからこそ、彼女の人形たちに惹かれるのかもしれない。


そしてこのような自己愛が逆説的に他者への優しさに繋がる契機になるのだろうか?

ロリコンファル - 聖痕 −えいえんのせかい−

http://d.hatena.ne.jp/kagami/20061123#p2


欠如している=不在であるということは、無いが故に、
相手の主体性=他者性を排除して自己の欲望を相手の
不在に潜らせて自己にもう一度収斂することが可能になる…。
身勝手な欲望ですが、そういった欲望、専有の欲望は、
人間のエロティックの根幹として存在しているでしょうね…。
逆説的ですが、そういった身勝手な欲望のゆえに、人に
優しくできたり、人を愛したりできたりもする訳ですね…。

0.オレはガキだから不愉快な殺意をばら撒くよ


光化学スモッグのおかげで、クソ野郎の顔がぼやけて見えない。
名前の知らない友達も、連続的表示の画像少女も、腐敗した死骸のオモチャも
全てが曖昧なままだから、、何の躊躇もなくぶっ壊せそう。

淋しいなんて思わないよ 僕はひとりで充分だから
哀しいなんて思わないよ 僕は感情も捨てたから

ムック「廃」の歌詞より)

もう何も欲しくない 「生きる」ことに耐える日々
みんなが死んだような目で 僕を見下してる
この薄暗い部屋と あたたかな独りきりが
僕の理想の友達さ 心安らげる場所さ

ムック「遺書」の歌詞より)


どうせ生き腐れた半死半生の僕です。
あいつ等はベトベトしあって、そして陰茎捕捉でペニスが壊死すればいいさ。



1.キャラ類型−「人造美女」「片目っ娘」

人造美女


人間によって改造・製造などされた女性型の生物、半生物、または人工物の総称。
女サイボーグ、ロボ娘、義手少女、メタリック美女など様々なバリエーションがある。
<代表的キャラクター>
ピノコブラック・ジャック)、003(サイボーグ009)、
もえみちゃん一号(ロボット妹 改め 人類皆兄妹!〜目覚めよ愛の妹力〜)、
マルチ(To Heart)、真紅(ローゼンメイデン


新城カズマライトノベル「超」入門』第2章 ライトノベルを読んでみよう-キャラ類型解説)


手塚治虫ロストワールド』では「植物から作られた少女」の「あやめ」「もみじ」が登場している。
しかも目的は、彼女らを植物人間少女の創造者である「豚藻博士」自身の「およめさん」にするため。

片目っ娘


片目の少女。またなんらかの事情でいっぽうの眼球が機能していない少女。
眼帯または包帯を用いる場合もあり、近年はそれらを使用しているだけでもこの類型に含まれる。
<代表的キャラクター>
綾波レイ新世紀エヴァンゲリオン)、薔薇水晶ローゼンメイデン
(同上)

1.人形-ヴィジュアル系、人形-メタル

リンク:ヴィジュアル系は人形をよく利用しますね - 死に忘れましたわ
リンク:美学的、病痾的-[メタル史]あと一部に向けて
http://d.hatena.ne.jp/negative-naive/20070226#1172508349



1.「私は人形」という女の子(不思議ちゃん)

「私は人間じゃなくて人形なんですけど」「普段ショーウインドウの中で着せ替え人形として暮らしてます」
「人間の方に癒しを与えるために色んなお洋服を着てます」
(リンク:フジテレビ「不思議の国のアリス」見た - 死に忘れましたわ

(笙野)
男好みの少女小説だと、十四、五歳の女の子を書いてるのに、頭の程度は幼稚園くらいで、
もじもじして、白のソックスとかはいて、それだけでも気持ち悪いとか思う。
(長野)
そうそう。あるいは神秘的であったり、植物や小動物とことばが通じたり。
うるさい!そんなのはただの不思議ちゃんだ!」ってなります。
男のロマンはつきあいきれないわねって。

<中略>
(笙野)
成熟した女の人にふりかかるうっるさいセックスや良妻賢母の抑圧をふり払わんがためにですねえ、
あるいは少女というものが
人間でありロリコンの玩具ではないということをいいたいがためにですねえ、少女的な生き方や表現を選ぶ人がいる。

でも、それをロリコンが未成熟だといってしまったり、勝手に仕切ったり、あまりにインチキなことが多すぎる。


(対談:長野まゆみ×笙野頼子「小鳥の唄、言葉の身ぶり」『《文藝》別冊総特集 長野まゆみ─三日月少年の作り方』)

1.doll(ドール)-アイドル-オタク

(榊山)
子供のときから漫画やアニメを見て慣れ親しんでるせいか、
漫画に出てくるような顔の方が、自分が好きになりやすい対象として先にあって、
そういう顔をフィギュアの形で立体化したものを好きになる。
あるいは、アイドルを好きになるにしても、
目が大きくてちょっと斜視っぽいアニメの美少女のような女の子がいいとか、ある意味で最初から転倒してしまっている。


四谷シモン,聞き手=榊山裕子「秋葉原に電脳遊郭を!-新しい「人形論」のために」『ユリイカ 2005年5月号 特集 人形愛 あるいはI,DOLL』)

現代の若者たちにとってアイドルは、所有可能で操作可能な等身大の「カワイイ」存在、
それゆえいつでもとりかえ可能な商品であり、まだ見ぬ<わたし>の分身である


(西村清和『電脳遊戯の少年少女たち』)

0.オレ、マザコンだしロリコンだしね。fuck off!!


ママァ、ママぁ。ぶっ殺してやるよ。ぶっ殺してやる。

今日も四角い空をながめてる それがこのボクにとっての全てです。
とてもキレイなボクの好きなママ ボクは今日もとてもいい仔にしているよ。


(ムック「ママ」の歌詞より)

幼い頃の虐待がね 今でも忘れずにいたい 何故MOTHERはいないの 教えてよ


Dir en grey「Cage」の歌詞より)

締め付けたママの首筋 天上からぶら下がるなら バイバイMother
(中略)
さあ私を犯してキが済むまでパパの物よ ほら上からママが私達を見下ろしてる
(中略)
裸のママ雪景色に咲く 真っ赤な花血みどろに咲き 私は独り


Dir en greyembryo」の歌詞より)


ロリコンは死ねばいいんだろ。あはは。近寄んじゃねーよ。死ね。

私はいわゆる「セックス」には一切関心がないのだ。
そういう動物じみた要素は誰でも想像できるではないか。
私をたえず誘惑してやまないのは、それよりももっと大きなくわだてだ。
すなわち、ニンフェットの危険な魔法を一網打尽につかまえることなのである。


ウラジーミル・ナボコフ,若島正『ロリータ』p188)

ロリータ

ロリータ

0.こんな感じで性的不能者を装えばオタク的にはオッケーですか?えぇ

更に言い換えると、成人男性である自分への自己嫌悪
(同時にそれは、現実の成人女性を商品化する視線を持っていることへの自己嫌悪でもある)
を他者への攻撃性に転化しないために、一種の性的不能者を装っているのだ。
それは、宮崎勤事件以降の状況を生きるオタク男性たちが身に付けた生活の知恵とも言えるし、ある種の隠棲願望的な屈折とも言える。
つまり、美少女キャラクターに感情移入していく過程で、自身の性的な自己抑圧に対応する形で、
彼らはセックスを隠蔽したセックスアピールとしての「萌え」を志向する必要があった。


更科修一郎「ギャルゲーにおける人形表現-自己去勢するオタクたち」『ユリイカ 2005年5月号 特集 人形愛 あるいはI,DOLL』)

0.生きてる人間は厭だねぇ。死んでる方がいいよ

でもぼくは生きている時の田島さんより 死んでしまった田島さんの方が好きだ

ずっとずっと好きだよ

生きてる時の田島さんは全然好きじゃなかった 自分のことばっか喋ってて
どんかんで一緒にいるといつもイライラしてた

でも・・・黒こげになってしまった田島さんは・・・
死んでしまった田島さんはすごく好きだよ


岡崎京子リバーズ・エッジ』)
リバーズ・エッジ (Wonderland comics)

0.1.人形-死体。死体の閲覧「クラブきっず」,死体の展示「人体の不思議展

●リンク:「クラブきっず」と「人体の不思議展」を分けるものは何だろね? - 死に忘れましたわ

人形愛は、このような壊れた人形に向かう。
それはより身体のリアリティを感じさせるからだ。
身体に加えられた攻撃や破壊は、人形という人の似姿だから、
自己に与えられたかのように、よりリアルに感じる。
このような壊れた人形への愛は、死体嗜好とも重なるだろう。


志賀信夫フェティシズムと人形愛」TH series(トーキングヘッズ叢書)No.19『特集・ドール〜人形の冷たい皮膚の魅惑』)

0.1.「アイコンといっても、高々トライブのアイコンに過ぎない」

(宮台)
要は、アイコンといっても、高々トライブのアイコンに過ぎないのです。
森川嘉一郎君の話が出たからアニメでいえば、押井守イノセンス』にしろ
紀里谷和明『Cachern』にしてもサブライムなアイコンが復権しているように見えます。
高さを崇高さと読み替える「ゴシック的なもの」が覆い尽くしているように見えます。
そこだけ見ればアイコン的なものの過剰です。
にもかかわらず、それらはあくまで人畜無害なエンジョイアビリティを超えません。論理的に、超えるはずがないのです。
社会システムは、そうしたアイコンのエンジョイメントとは完全に無関係に回っています。
人々が各種トライブの中でアイコンを押し立てても、それとはインディファレントに社会システムは回るということです。


山本理顕編『徹底討論 私たちが住みたい都市 身体・プライバシー・住宅・国家 工学院大学連続シンポジウム全記録』第4回 国家 磯崎新×宮台真司

0.1.傷-身体-社会。傷-性器。

(山本)
今の若い人たちがピアスをしたり自ら自分の身体を傷つけたりするのも、
社会化された身体と生身の身体がうまく結びつかなくなっているのかもしれない。
自分の体を改造していくというのも、これは自分の体なんだ、ということを実感したいからなのかもしれません。
でも、何ものにも帰属しない私自身の身体だと実感するための、例えばピアスだとかタトゥーだとか、
それがすでに様式化されてしまっているようにも思います。
それは身体があらかじめ社会的な存在だということを逆に実証してしまっているようにも思うんです。


山本理顕編『徹底討論 私たちが住みたい都市 身体・プライバシー・住宅・国家 工学院大学連続シンポジウム全記録』第1回 身体 伊東豊雄×鷲田清一

(伊藤)
だから、耳や鼻や唇といった開口部にピアスをするというのは、
何かによって封じることによって、自分の内、外を明確にしようとしているのではないかという印象を持つのです。
つまり、ピアスをつけることによって閉じていく。外部に通じている部分を閉ざして内部化しようという動きなのではないでしょうか。


(同上)

複製物の身体を傷つけることは、性器の複製というエロティックな契機をはらむのだ、と。


斎藤環「傷つく人形」『ユリイカ 2005年5月号 特集 人形愛 あるいはI,DOLL』)

0.1.鏡-身体-他者

内受容的自我から可視的自我への移行、
つまり、内受容的自我からラカン氏のいわゆる「鏡の中の私」への移行は、パーソナリティの或る状態から別な状態に移ることなのです。
私はもはや、私が直接に感じていたとおりのものではなく、鏡が私に提供してくれる私の像なのです。
ラカン博士の言葉を使わせていただくなら、私は私の空間的像に「籠絡されている」ことになりましょう。
私は、私によって生きられている自我の現実性からあっけなく立ち去って、絶えず理想的・虚構的・想像的自我に関わることになります。
鏡像は、そうした自我の最初の萌芽だったのです。


(メルロ・ポンティ(著)滝浦静雄木田元(訳)『眼と精神』)

心的な事象はニューロンの活動の結果ではあるけれども、
そのニューロンが語るべき最初の不可欠のストーリーは身体の図式と作用のストーリーである


(アントニオ・R. ダマシオ (著) 田中三彦 (訳) 『生存する脳―心と脳と身体の神秘』)

0.「生きる価値もないような世界を愛してる」「自殺の庭」「目の前は生きる意味がない」


圧倒的な負のパワーで世界を否定していたヴィジュアル系バンド「ムック」は
ここ最近(多分意図的に)高らかに世界を肯定する詩を歌っている。


勿論、ライブで昔の曲が流れてきたらキタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !状態になるけれども、
ムックの変化に、私はどこか嬉しいような気分になるのだ。

それでも今、僕達は生きていたいともがいてる
そして今 僕達は全てを受け入れて歩き出す
ここで今 僕達は生きてゆく もがきながら

(ムック「輝く世界」の歌詞より)

生きる価値もないような世界を 愛してる

(ムック「謡声(ウタゴエ)」の歌詞より)


正直、私は人間が出来ていないので
「生きる価値もないような世界を愛してる」なんてストレートで青臭いセリフ「気色悪くて言えない」と思ってしまうが


だが、あれだけ自分と世界に殺意を向けていたムックだからこそ(それだけじゃないけど、文脈上誇張)
これはこれで「上手い着地点なのではないか?」とも感じる。
確かにキリスト教神学者テルトゥリアヌスの「不合理ゆえにわれ信ず」のように宗教臭い言葉ではあるけれど。
去年のクリスマスの日、ライブでこの曲を聴いたとき、そう思った。


しかしその着地点とは何処だろう。ペンギン村か?友引町か?こりん星か?それ何て箱庭?

ここは自殺の庭さ 楽しい?
そこは全てが叶う庭?
目の前は生きる意味がない?


目の前は深いお前らの渦と嘘の箱庭
Dir en grey「audience KILLER LOOP」の歌詞より)

好き 嫌い 好き 嫌い 花の占いも  頼りない 当てになんない
Come on! Wish power! Come on! Wish power!  夜空の向こうと交信Chu!!


小倉優子(歌),志倉千代丸(詞)「恋のシュビドゥバ」より)

さあ いざ往かん 答えはその心の中にはねえ
気付けるかその意味に 決意しろ決別を


(ムック「極彩」の歌詞より)