忘却から生ずる無垢と軽さ――金田朋子様ブログ開設によせた腐臭漂う短文

Imamu2008-11-08



●「金田朋子抗鬱剤である」
何度この命題を口にしたことであろうか。
そして何度ミニミニミクロ電子幼稚園園歌を口ずさんだであろうか。
なぜ何度もミニミニミクロ電子幼稚園が終わってしまうのか。


●「ヘリウムガスを吸っても、あまり声が変わりません(苦笑)」
その声とその発言の珍妙さから放たれる金朋地獄なる異空間は
まさに蟻地獄のごとく周囲の者を奈落の底へ突き落とす。
金田朋子に近付くため大量のヘリウムガスを購入し常に吸引し続けよう夢想したこともあった。
しかし、それは叶わぬ夢であった。
金田朋子の声に殺されたい。『BLACK LAGOON』グレーテル役で快楽殺人者を演じた金田朋子に殺されたい。

私は自分が戦死したり殺されたりしてゐる状態を空想することに喜びを持つた。
三島由紀夫仮面の告白』)


●「記憶をすぐになくしてしまう」
金田朋子は世界の悪意にどう対処しているのか。
それが気になって仕方がなかった。
金朋先生はある日のトークショーで「すぐに忘れる」「良いことしか覚えていない」と語った。


記憶の喪失を「白紙」と言い換えるだけで、それは無垢へと飛翔する。
かの有名な「金田朋子語録」を紐解いてみると
単純な言い間違いや初歩的な勘違いが多いことに気付くだろう。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51219194.html
(私のお気に入りは「ちんちん代謝」「ガチャピンってあれだよね?黄色の方だよね?」だ。)
もはや何かの概念を正確に覚える気など始めから持っていないようである。
これからも金朋先生は松来未祐の名前を言い間違えるのであろう。
そう。認識力は「汚れ」なのだ。


金田朋子の「軽さ」
私は金田朋子の魅力を「軽さ」と表現したい。
もちろん148cm、38kg(公式プロフィール*1)という
金朋先生のミニミニミクロなサイズによる軽さの話ではなく
過去の記憶と断絶されることによって生まれる「軽さ」のことである。
(しかし、このミニミニミクロな金朋先生が可愛いのはまぎれもない事実だ)


歴史を引きずる行為は「重さ」を感じさせる。それは伝統などと呼ばれるあの重厚さである。
逆にいえば、記憶の忘却から「軽さ」がもたらされるのだ。
寺山修司が自らの過去を語る際に何度も改変を施したのは、
過去の重さとそこから導かれてしまう今の自分から逃避するためであった。
金田朋子は過去の記憶を自然に喪失することで寺山修司を上回るラディカルさを手に入れている。


http://ameblo.jp/kanetomojigoku/
従って金田朋子のブログが開設されたとき戸惑いを隠せなかった。
ウェブログweblog)のlogは「記録」という意味である。
つまり金田朋子がブログを始めてしまうと、自らの過去が蓄積されてしまう。
これは忌々しき事態なのではなかろうか。
しかし、杞憂であるとすぐに気がついた。
金朋先生はきっと自分がブログで書いた内容を書いた先から忘れているのではないか。
金田朋子は忘れるためにブログを書く。
そして金田朋子は喪失という名の翼を広げた天使となる。

六月の夕べの夜と昼とのあわいに、おのおのの瞳を以て、「死ね!」とばかりに
冷ややかにわれわれを教唆する美少年たちは、すでに彼ら自身が死とは先約ずみなのだ。
「これ以上、大きくなれないような子」「その成人振りが到底考えられない童子」は、
既に完結している。


(『稲垣足穂全集(4)少年愛の美学筑摩書房,2001,p167)



この世への執着も、金田朋子への想いも明日には全部忘れてしまいたい。


蛆虫の涙を飲み干して、まばたきする度に起こる惨劇を忘れてしまいたい。


自殺した雨、長い黒髪のような雨、無数の流産、心の漂流物、優しい廃墟
アーモンドの入ったチョコレート、ゼンマイじかけのネズミ
シダの葉先が銀色に光って、妖精がビロードうさぎにキスしたとき
砂糖漬けのオレンジピールラム酒漬けの干しブドウが渾然一体とカクテルのように混ざる。
少し苦めのカカオパウダー、熱々のチョコレートソースをかけて召し上がれ。


太陽の明るさには慣れそうにない


――――――――――――――本日のBGM――――――――――――――――

乾いた風に吹かれ 独りきり歩いてる
忘却の空へたどり着けるまで


灰色で綺麗だった 想いを探してる
足跡消せないから いらだち重ねたけど
空白で素敵だった 想いを探してる


SADS「忘却の空」)

忘却の空

忘却の空