平野綾とソフィーの世界とサルトル
確か、『声優グランプリ8月号』の平野綾「1万字インタビュー」の中だったと思うが
平野綾がサルトルの言葉らしきものを引用していたのを見て
「うわぁ。サルトルかぁ」と変な気持ちになったのを、今でも昨日のことのように思い出す。
そういえば、どっかのラジオで平野綾は中学時代「ソフィーの世界」を読んだと言っていたみたいである。
平野綾は(これも上記と同様1万字インタビュー内だったと思うが)
アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」において、第12話 「ライブアライブ」、あの文化祭エピソード内での
涼宮ハルヒの心情が平野綾自身の心情と何かしら通じるものがある
みたいなことを言っていた気がする(うる覚え)
多分、今まで非日常(現実離れしたもの)ばかり追い求めていたハルヒが
何気ない日常の中での飛躍(文化祭でバンド演奏)に価値を見出す
その辺りに、何か平野綾自身が感じることがあったのだろうか?
などと訳の判らない妄想はストップ。ストップエモーションだ。
ということで、愚直にソフィーの世界をひたすら引用することで
平野綾の価値観や、平野綾は涼宮ハルヒというキャラクターをどう思ったのか?
などなど、妄想することにした。妄想ゴーゴーである。そのための妄想メモ。
だから、この妄想を邪魔してしまう内容(レヴィ=ストロースのサルトル批判など)は
一旦、脇に置く。というか私は構造主義など見たことも聞いたこともない。
ただ、ソフィーの世界は分厚い本なので
私が平野綾との関連で妄想材料にできるところだけを抜き出したつもりだが
それでもけっこうな量になった。これでもまだ引用し足りないぐらいだけど
ソフィーの世界書誌情報
- 作者: ヨースタインゴルデル,Jostein Gaarder,池田香代子
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 1995/06/01
- メディア: 単行本
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エデンの園
・p12
自分の顔なのに自分で決められないなんて、そんなのあり?
顔は生まれつき決まっている。友だちなら選べるのに、
自分のことは自分で選んだわけじゃない。
人間になることだって、わたしが選んだんじゃない。
ヘレニズム
・p182
巨大な地球はたった一つの命あるものになり、
この命あるものはソフィー自身のように思えた。
わたしは世界、とソフィーは思った。
(中略)
小鳥がさえずって、まるで世界はいましがた創造されたかのようだった。
ルネサンス
・p252
人生は悲劇的でおごそかなものさ。
ぼくたちはこのすばらしい世界に招かれ、出会い、自己紹介しあい、
少しのあいだいっしょに歩く。そしてたがいを見失い、
どうやってここに来たのか、そのわけもわからないうちに突然いなくなる
・p261
ルネサンス以来、人間はもう、ただの被造物の一つではない。
自然に手を出して、自分の思うようにつくりかえている。
人間は、被造物は被造物でも、驚くべき被造物だということだね
カント
・p433
ぼくたちがだれかなんて、たいしたことじゃないね。
大切なのは、ぼくたちがいるってことだよ。
ロマン主義
涼宮ハルヒはロマン主義的な考えに近いといえるのだろうか?
・p441
ロマン主義者は、だったら個人は人生を好きに解釈してかまわないのだ、と考えた。
そしてそれを拡大解釈して、無制限にわたし、つまり自我をあがめたてまつった。
・p443
遠いところや手の届かないものにあごがれるのが、ロマン主義者の特徴だ。
・p444
人生を味わうこと、あるいは人生から逃れる夢を追うことが、
ロマン主義者にとっての至上命令だった。
日々の営みは俗物にまかせておけばいいのだ
わたしたちの時代
平野綾が好きだと言っているサルトルが出るパラブラフなので多めに引用
・p580
サルトルによれば、人間にはそういう本質はない。
人間は自分をゼロからつくらなければならない。
・p581
サルトルにとっては、人間の自由は呪いだった。
(中略)
自由は人間にとっては運命なんだ。
・p582〜583(!!!!!平野綾がよく引用している箇所。その箇所の前後部分含む!!!!!)
「なに、それ?」
「意味のあるものなんかないのだから、なんでも許されるとする人のことだ。
サルトルは、生には意味がないわけにはいかない、と考えた。
これは逃れられない定めだ。
しかも、ぼくたち自身がぼくたちの生の意味をつくらなくてはならない。
実存するというのは、自分の存在を自分で創造するということだ」「もう少しよく説明してくれる?」
「サルトルはまず、なにも知覚していないような意識は存在しない、
ということを証明しようとした。
なぜなら意識とはかならず何かについての意識だからだ。
この何かは、ぼくたち自身と、ぼくたちをとりまく世界との合作だ。
何を感じるかの決定には、ぼくたち自身も参加しているんだ。
・p593〜596
以下の部分は、涼宮ハルヒの「普通の人間には興味ありません」的な嗜好への批判と読めるのか?
店に入ると、アルベルトは大きな書棚を示した。
そこには「ニューエイジ、オルターナティヴ、オカルト」の
三つの分野の本が同居していた。
(中略)
「『テレパシー』『霊視』『念動』『心霊現象』『占星術』『UFO学』『超能力』『霊能者』。
名前はどうにでもつけられるもんだね」
(中略)
「その人たちはなぜ読みたがるの?」
「退屈な日常を越えたものを教えてくれる、
なにか『神秘的なもの』や『異質なもの』へのあこがれを感じているからだ。
でも惜しいことに、どこかで道を踏みはずした」
(中略)
偶然をコレクションする人があとを絶たないということなのさ。
(中略)
当たりくじだけ集めたくじ引きなんだよ
(中略)
こういう霊媒をみんなペテン師だと言うつもりはない。下心のない人もいるだろう。
その人たちはたしかに霊媒なんだろう。でもただ、彼ら自身の無意識を媒介する霊媒なんだ。