本田透はアイドルヲタを消去している。山本寛はアニメとアイドルを繋ぐ

本田透にはアイドルヲタの視点が欠落しているのではないか?

本田透氏の著作『電波男』や『萌える男』において、
もはや現実の女に用はない。真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った。
と語ることによって、アイドルヲタの視点を完全に切り捨てているように感じる。


だが、本当に「三次元/二次元」という分け方は有効なのだろうか?
アニメーションやマンガなどと同じく
アイドルも「虚構・フィクション」の枠組みの中に存在しているのではなかろうか?
ただし、虚構であるはずのアイドルの問題は、その虚構を「生身の女の子」が背負うという点である。


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私にハロプロについて教えて頂いたeal様とお話したときに、
一瞬だけ本田透について触れて、そして二人である共通の見解になった。(と私は感じた。)
それは、彼の著作では「アイドルヲタ」の問題が消去されているというものだ。
百歩譲って「アイドルヲタ」の存在が消去されるのはよいとしても
彼の著作では、同時に「アイドル」自体も消去されているという印象がある。


社会全体でみれば、私は確実に「本田透側」の人間であることは間違いない。
だが最終的に、本田透氏に同意できないのは私がアイドル好きな人間だからである。

ハレ晴レユカイBerryz工房――山本寛が繋ぐアニメとアイドル

京都アニメーションの演出家・脚本家である山本寛Berryz工房ファンであり
涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディング曲「ハレ晴レユカイ」のダンスシーンが
Berryz工房のPVを参考につくられたという事実はやはり気になる。

話題のエンディング映像ですが、ダンスシーンを描くにあたっての苦労などはありましたか?


 ダンスと聞いた瞬間、地獄絵図を垣間見ましたが(笑)
原画スタッフが頑張ってくれたので、私自身は全然苦労していません。
唯一の苦労といえば、参考用にとアイドルのPVをたくさん見せられたことでしょうか・・・。



("ここがすごいよ『涼宮ハルヒの憂鬱』-ORICON STYLE マンガ/アニメ"
アンケート回答 池田晶子 キャラクターデザイン・作画監督
http://www.oricon.co.jp/anime/topics/060621/060621_02ikeda.html)


こちらで詳しく検証していらっしゃる。

"ぶるふぉぼ。ディスプレイ - ハレ100回分ユカイに愛して下さい (ただし 21時まで)"
http://d.hatena.ne.jp/BluePhobos/20060508#p1


私はここ数日でberryz工房のPVを見続けているのだが、
ハルヒダンスを消費する快楽とberryz工房のPVを消費する快楽は同じ質のものなのではないか?
などと考えるようになった。
涼宮ハルヒの場合は京都アニメーションの作画力の高さなどの要因もあるのだろうが)
従って、フジテレビがしかけている「アイドリング!!!」という新人アイドルたちが
ハレ晴レユカイ」を歌い踊ったことはアイドル的に正しい選択だったのだ。
(参考:http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20070111/p1


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山本寛さんは,枯山水のBBSのなかで,
アニメーションには体臭(人間性)が足りない」と呟いている。
そして彼はアニメーションの中に実写的な表現を取り入れる事に固執していることでも有名である。


(電源を入れてください〜都市ノォト〜
"涼宮ハルヒの憂鬱第9話に見る,山本寛さんが押井守化することに対する懸念"
http://buchi21.blog64.fc2.com/blog-entry-97.html


上記のブログで山本寛氏に関する興味深い発言が取り上げられている。
私は京都アニメーション山本寛氏について詳しくないくせに、適当なことを言ってしまうと
もしかしたら山本寛氏は「アニメーションの身体性の回復」の手段の一つとして
涼宮ハルヒEDのダンス映像をつくったのだろうか?


ただ、「アイドルのPV」と「アニメーション」が手を結び合えたのは
両者が共に生身の「肉体」や生身の「性」をある程度排除した「身体性」を表現したもの
だからではないかと思っている。だから、アイドルのダンスをアニメキャラがやってみても決して身体性は回復しない。

どんなハードな日程もこなし、異性問題も起こさず、ギャラの文句もいわない
シミュラークル・アイドル》―それは芸能界の求める究極のアイドルのはずである。
生身の少女であろうとした岡田有希子が七階から
ダイビングしなければならなかった理由もなんとなく見えてくる。
アイドルとは《シミュラークル》が生身の実体を持った不幸な存在だからである。
アイドルが《虚像》であるとすれば、
実体のない《シミュラークル・アイドル》こそアイドルの正しい姿である


(大塚英志,『システムと儀式』;『おたくの精神史』より孫引き)

再び:本田透にはアイドルヲタの視点が欠落している

エロティシズムの質としてはアイドルとアニメの美少女に対するそれは
似通っているのではなかろうか?
しかし、本田透氏は「だからこそ」中途半端に現実と接合する回路を持つアイドルではなく
「完全な二次元」に行く道を推奨したのかもしれない。

この世界はクズだけど、二次元には旅立てない。残念だけど。

「七里の鼻の小皺」2007-03-26の日記においてid:nanari様は以下のように書いている。

われわれは、アイドルを徹底的に疑う。われわれは、アイドルを極小の形で信じているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/nanari/20070326

私は本田透でもなく、また「アイドルなんて所詮、ウソでしかない」と居直る立場でもなく
このnanari様が提示した立場が一番ぴったりくる。


アイドルがつくる物語・作り話はクズだ。
だがそれは、ゴミ箱の底にあるクズではない。
それは星屑だ。キレイな星を散りばめたクズなのだ。
この世界は全てクズでしかないが、アイドルがつくるクズはその中でも上等の部類に入るクズだ。


そろそろ頭が狂って、おかしな文章を書き始めたのでカミソリを用意する。さようなら