映画「キサラギ」におけるアイドル語りの検討

"映画「キサラギ」オフィシャルサイト" http://www.kisaragi-movie.com/

C級、いやD級のグラビアアイドル如月ミキが自殺を遂げて、早1年が経っていた。
彼女の1周年追悼会に集まった5人の男、家元、オダ・ユージ、スネーク、安男、イチゴ娘。
(中略)
「彼女は殺されたんだ・・・」
この発言が引き金となり、5人の男達による怒涛の推理が始まった!


(『キサラギ』劇場用パンフレット)

キサラギは、小栗旬,ユースケ・サンタマリア,小出恵介,塚地武雅,香川照之の5人による
ワンシチュエーションものの映画である。
以下、この映画におけるアイドル語りを検討する。


この映画では、「観客の笑い」をとる方法の一つとして
アイドルオタク特有の細かい言動(生写真を手袋着用で扱う等)の滑稽さを使っている。

この映画では〈シビアな話をしているけど、それを真剣に話し合っている姿が滑稽〉
という面白さを見せたかった。
(同上)

と、脚本家の古沢良太さんは語っている。
「オタクたちの会話」などはそういう面白さを表現するには、うってつけであろう。
ある意味、会場の笑いが自分に向けられているような気がして、いたたまれない気持ちになる。


さて、映画の後半になり、5人はグラビアアイドル如月ミキの死の原因についての
「最も納得できる仮説」を導き出す。
そして語る。「アイドルは虚像である」と。
その後に彼等は悟るのだ。「僕たちも同じようなものだ」

映画を観終えてから古沢シナリオを読むと、五人の登場人物が
「何者であるか」についてほとんど触れていないことに驚かされる。
彼らは、自身の言葉で己の職業などを語ってはいるが、
それが「本当のこと」である確証はどこにもない。
かといって、「背景不在」の不確かさをこれみよがしに色づけしているわけでもなく、
私たち観客は最終盤を迎えたとき、何となくそのことに気づくという
実に奥ゆかしい構成なのだ。


(相田冬二 "五人の「心」の美しさ〜未来につながる記念碑・キサラギ"
 『キサラギ』劇場用パンフレットpp8-9)


確かにアイドルという存在にはあからさまなウソが見えるが
では、私たちはみんな常に「実像」だと言えるのか。
『私が「何者であるか」が解らなくても問題ない』状態=匿名性が
恒常的に発生する都市空間では
私は他者にとって「背景不在」でも構わないのである。


私たちはアイドルと同じく「虚像」を背負って生きているのだ。

――最後にこの映画を通して人に伝えたいテーマは?
ひとつは〈人を好きになること〉。
特にアイドルっていう手の届かない相手に対して、
見返りもないのに熱心に応援することは素敵だなと思うんです。
もうひとつは〈人ってよくわからないよね〉ということ。


(脚本家 古沢良太インタビュー『キサラギ』劇場用パンフレットp5)

  • 参考サイト

"ヲタで卒論 〜解釈と操作のヲタ視線〜 - 映画「キサラギ」"
http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070629/1183081025