写真集「ケガドル」は萌え文化かゴスロリ文化か?――「ゴスっぽいものが好きなオタク」
- 作者: 小久保洋
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2007/07/26
- メディア: 大型本
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(右上の写真はTバック中学生[ヒドイ言い回し]こと泉明日香の包帯姿)
同社広報担当者は「負傷系少女」をテーマに採用したきっかけについて、
「写真集企画者が、ゴスロリ系の女の子たちが包帯をアイテムとして使っているのを見て
『そのままだとダーク過ぎるが、トーンを明るくすれば
男子向けの「萌え属性」として成立するのでは』ないかと思ったのが始まり」と話している。
"ワニブックス、負傷系少女にフィーチャーした写真集「ケガドル」発売"
『アキバ経済新聞 - 広域秋葉原圏のビジネス&カルチャーニュース』
http://akiba.keizai.biz/headline/562/index.html
企画者が「ゴスロリを萌えっぽくしてみました。てへっ」と言ってるようです。
この企画者や商品製作に携わった方々には大変申し訳ないのですが
正直、パラパラページめくって「騙された orz」と思いました。
思わず「絶望した!全く死の臭いを感じさせないケガドルに絶望した!」
と叫んでしまいました。
ケガドルに「これはひどい」というタグを100億万兆個ほど付けました。
以下に幾つか紹介します。
・これはひどい(1)血のりが全く使われていない。ありえない
・これはひどい(2)写真が普通の男性誌のグラビアのようなエロさ。ありえない
・これはひどい(3)手首を切っちゃうような不安定さを微塵も感じさせない健全さ。
・これはひどい(4)刃物(ナイフ・カッター・包丁・・・)を持っていない。
・これはひどい(5)鼻フックされていない
・これはひどい(6)包帯が新品同様なものばかり(汚れた包帯がない)
・これはひどい(7)白い水着+包帯の場合だと、包帯がただの水着の延長としての布にしか見えない
仲村みうさんの魅力も半減だよ。
これだったら、KERA!とかゴシック&ロリータバイブルとか買った方がいいんじゃないか
ゴシック&ロリータバイブル vol.24 (インデックスムツク)
- 出版社/メーカー: インデックス・マガジンズ
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『ケガドル』は巨大化した萌え産業が
他のサブカルチャーの上澄みを吸収していくよい例ですね。(若しくはゴスの侵食かい?どっちでもいいけど)
アニメはというと小説なり、音楽なり近接するそれぞれのジャンルに
「オタクっぽいもの」が準備されています。
音楽でも偽ケルトの人たち(Sound Horizonとか)とか坂本なんとかとかいるでしょ。
これは要するに高度にメディアミックスされた「オタク文化」が
他の「サブカルチャー」を完全制圧したということ
(儲からなければだれもメディアミックスなんかしないだろうから)に他ならない訳で、
まぁ喜ぶべき事なんでしょう*3
ただしそれが個人の適応の問題となるとこれはまったく別の話ではないのでしょうか。
"Welcome To Madchester - なぜ脱「オタ」なのか"
http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20070729#p3
まぁアニメやマンガでも「負傷系少女」というのは繰り返し登場しているけど
片目っ娘
片目の少女。またなんらかの事情でいっぽうの眼球が機能していない少女。
眼帯または包帯を用いる場合もあり、近年はそれらを使用しているだけでもこの類型に含まれる。
<代表的キャラクター>
綾波レイ(新世紀エヴァンゲリオン)、薔薇水晶(ローゼンメイデン)
(新城カズマ『ライトノベル「超」入門』第2章 ライトノベルを読んでみよう-キャラ類型解説)
だから「負傷系少女」という発想は何処でも見られるものではあるけどね。
「身体性の過剰さ」が好きなのがゴスロリなのかも
『ケガドル』への意見として興味深いものを一つ。
もし「萌え」が「萌え」対象への同一化の欲望という側面が強いのなら、
できるだけ萌え対象の身体性が希薄である方がよい。
そうしないとその入れ物に僕が入っていけないから。
であるならば、「ケガ」という、身体性が露わになることと、
「萌え」をつなげることにはだいぶ無理が生じる。
"ヲタで卒論 〜解釈と操作のヲタ視線〜 - 「ケガ」⇔「萌え」"
http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070729/1185673949
ここでid:onoya様は
・「萌え」−身体性の希薄さ
・「ケガ」−身体性の発露
という対比をし、尚且つ身体性が露わになる「ケガ」に「萌え」はおかしいとおっしゃっている。
以前私も似たような対比をしたんだったと、思い出した。
死に忘れましたわ - ヴィジュアル系と歪んだ身体感覚
http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20060911/p1
とりあえず、ここで関係あるところだけ纏めると
・オタク−自己の身体感の希薄さ
・ゴスロリ−自己の身体感の過剰さ
こんな感じってことにしておこう。
金原ひとみの小説とかパラパラめくってると感じるのですが
肉体への描写が過剰なのにそれが、やけに観念的で浮遊感があるっていうのか
スプリットタンとか摂食障害とか赤ちゃんをレイプしたり、そんなんだよね確か(適当)
もしも、萌え的な感性が「希薄な身体性を持つ対象に同一化」するものなのだとしたら、
逆に、ゴスロリ的な感性は「過剰な身体感覚に同一化」するのではなかろうか。
しかし「過剰な身体感覚」自体が観念的なものなので、直ぐに記号化してしまう。
それは金原ひとみの小説の過剰さのように。
で、、「萌え」は「身体性を記号性にすりかえて人間性を剥奪する」ような機能がある。
だから「ヤンデレ」なんて「過剰さの記号化」という萌え属性も存在するわけだしぃ。
(ヤンデレは意中の男を思いすぎて病むというパターンだから身体性の過剰さとは少し違うけど)
だから、貪欲なオタクの一部は「記号的な過剰身体性」も「萌え」に出来るのではないか?
参考:"たまごまごごはん - 身体欠如少女の憂鬱〜サイボーグ化できない少女達〜"
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20061122/1164136621
「身体性の希薄」=「機械化された身体」としてのPerfume
だからテクノポップユニットアイドル」Perfumeのパフォーマンスは面白い。
テクノという音楽性が感じさせる機械的なものへの賛美と
その音楽に合わせて彼女が踊るまるでぎこちない機械のようなダンス。
しかし、アイドルって「身体性が希薄なのが良いんでしょ」という挑発にも感じられる。
で、ライブに実際行くと、素のトークが微妙に面白い。生身の暖かさが感じられる。不思議だ。
参考:"ニートホープ - Perfumeとアイドルマスターの共時性"
http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20070803/p3
同一化と対象化の両方があるのでは?だから片方を強調してもしょうがないかも
萌えは「同一化」と「対象化」両方含むのではないか?
onoya様は萌えは「対象を記号的なものにしてしまう」という点に批評的である方だから
萌えの「同一化機能」を強調する書き方をしているが、
萌えって単純に「対象を鑑賞する」というアル意味俗悪的な覗き趣味のようなところもあると思う。
アイドルとアイドルオタクの共依存性
アニメやマンガ等は専門の人に任せるとして『ケガドル』の話なのでアイドルに絞って考えます。
オタク側としては、鑑賞(対象化)の欲望を抱えながら
『「生身の女の子」を対象化していいのかよ!』→『いや、同一化しているんです』
倫理的にギリギリの選択として、こういった回答が考えられる。
社会的に規定されている「女の子」側は
「女の子であること=他者から評価される客体的な存在」を
女の子自身が主体的に引き受けることで社会的に評価され、それにより自己確立が出来てしまう。
つまり、女の子にとって「対象化」されることが
「社会的な評価の軸」「女の子としての私の価値」に繋がってしまうという問題があるので
「私の価値」を高めるために「対象化」されることを自ら望むというパターンが考えられる。
そういった意味でアイドルとアイドルオタクは共犯関係(共依存)とも言える。
ただ、このモデルでも限界があるよねってのが、
最近のモーニング娘。関連の話なんじゃねーかとも思う。
ということで、この先はモーヲタの人に任せたからお願いします。