アイドルオタクはアイドルマスターや初音ミクに興味あるの?SM写真。

Imamu2007-09-30



あれは何時のことだったか。数日前だと思われるが、
私は『田中欣一・金井清顕 展「緊縛写真+エロス絵画二人展」』に足を運んだ。
手短に感想を述べておこう。

  • 田中欣一氏のSM写真。

強烈な肉感が画面を支配しており、血と汗が滾るのを止められない。
迫り来る肉体に対して、肉体的な吐き気が応答をした。
圧倒的な吐き気。


しばらくは女性器が襲い来る悪夢に魘されることが予想される。
女性器が襲ってくる。

  • 金井清顕氏のエロス絵画。

田中欣一氏のSM写真を元にして描いた作品が写真とセットで展示されていて
写真と絵画を見比べるのが面白かった。
そもそもSM写真自体が「現実の女性の一場面を切り取ったもの」なのだが
そのSM写真を絵画にするという二重の切り取りをすることで
よりエロスの抽象度が高まっているかのように感じた。


――――――――――――


この展示を見て感じたのは
「生々しい女の肉体」というのは
一見<女>のありのままの姿を映したもののように感じても
決して現実の女をそのまま表したわけではなく
入念に作り上げられた表象に過ぎないなのではないかということだった。


従って身体性を感じにくい「メルヘンチックなカワイイ女の子」と
身体性を強烈に感じさせる「生々しい肉体観と情欲に溢れる女」は
どちらも作られたイメージであるという点で等価ではないかと思った。

文明の進歩というのは
人間の生活がより多くフィクションの上に築かれることであるとすれば、
文明の進歩と共に虚栄は日常茶飯事となる。
三木清『人生論ノート』)

女性器の型

どういった経緯で製作されたものか解らなかったが
女性器の型を取った白い物体が数にして何十個か展示されていた。
そのうちの幾つかは毛(陰毛であろうか)がくっついている。


有名人の手形などがあるのは知っていたが
まさか女性器の型があるとは露知らず。
いったいこれは何のために作られたのだろうか?
いや、そんなことを考えること自体が間違いなのかもしれない。

サド的倒錯者とは、自然合目的性=生殖から逸脱しつつ、
快楽への惑溺者という従属からも逸脱した
冷めた闘争者として自らの自由を設置し続ける者でなければならない。
言い換えれば、如何なる合目的性にも大儀的正しさにも自らの正当性を頼まない、
意志と管理において発明され成立する倒錯者であることが重要なのだ。


丹生谷貴志"龍は雨を呼ぶ"『ユリイカ 2007年8月号 特集=澁澤龍彦』p119)

有名人の手形が本来は無意味なのにも関わらず、そこに何か価値があるように感じるように
女性器型のコレクションも役に立たないという素晴らしい役割がある。


アイドルの手形と女性器の手形が同時に存在する世の中。



三次元アイドルオタクのアイドルマスター初音ミクへの距離

"Je n’avais pas l’intention d’aller a la mer.-en maniere de Haruphilie
世界の中心で裏声で歌へ初音ミク III.id.chintaro3 氏へのレス
――ニコニコ動画への誤解を解く/実はあなたは正しい/「三次元終わったな」と書く人々"
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20070926/1190783411


あと、「おもいっきりオタクをターゲットにしたような」アイドルと仰るが、
モーヲタのような3次元オタクとアニメ・ゲームオタクのごとき2次元オタクの間には
恐るべき断絶が生まれつつあることを指摘しておこう。
そしてニコニコ動画は基本的に後者の人々が集う場所である


大変面白い記事でした。
さて、私は<初音>と聞くと音声合成エンジンの「初音ミク」ではなく
アイドルの「松嶋初音」の方を思い出すわけです。


私はニコニコ動画初音ミクアイドルマスター関連の作品を熱心に見ているのは
いわゆる旧来のアイドルオタクではない人が多いのではないかと勝手に思います。
もちろんアイドルオタク且つニコニコ動画ヘビーユーザーの人もいるでしょうが。


アイドルマスターというゲームはタイトルに「アイドル」と付いてるだけあり
「アイドル要素」がゲーム中に散りばめられています。
初音ミクの方は「女の子のアイドル・シンガー」っぽい雰囲気の声質が採用されているので
「アイドル要素」は感じさせます。


しかし、ニコニコ動画アイドルマスター初音ミク関連の動画を沢山見ている人の多くは
アイドルオタクではないでしょう、きっと。



コンテンツ化された三次元アイドルの作品とアイドルマスター初音ミク関連の作品?

詳しくは存じませんが
アイドルマスター初音ミクを使用した動画に関しては
「作品としての完成度」や「ネタとしての面白さ」というのが重視されているかと思います。
従って、両者ともアイドル的要素が入っているコンテンツであるとは思いますが
決してその部分に重点が置かれているわけではなさそうです。
MAD作品の素材」「音楽製作における声というツール」として
アイドルマスター初音ミクは注目されているみたい。


作り手としてではなく、鑑賞者としてはどうでしょうか。
少なくともグラビアアイドルのDVDを見ることと
アイドルマスター初音ミク関連の動画を見ることは直接の関係なさそうです。


三次元アイドルが歌っているPVやライブ映像を見ることと
アイドルマスターのキャラクターたちが歌っている動画を見ることは同じでしょうか?
私はまだこのあたりを上手く言葉にできません。



「三次元終了,三次元終わったな」は断絶の象徴

ニコニコ動画のコメントなどで見かける「三次元終わったな
これを見るたびに思うのは
ニコニコユーザーの標準的なオタクたちは(ちょっと変な言い回し)
深夜アニメとアイドルマスター初音ミクは詳しいが
グラビアアイドルやAKB48ハロプロやアイドル女優やU-15アイドルには
詳しくないだろうということ。


従って上記引用中にある
モーヲタのような3次元オタクとアニメ・ゲームオタクのごとき2次元オタクの間」
の断絶を象徴する言葉として「三次元終わったな」はあると考える。


でも実は、個人的にはどっちもどっちのような気がしてます。



アイドル風のウタゴエと機械声。

"ぶるふぉぼ。ディスプレイ - ハロプロのボーカルは「機械声」化なるか"
http://d.hatena.ne.jp/BluePhobos/20070912/p1


さてさてこの機械声だけど、ハロプロの楽曲にはやはり適用されないと思う。
もちろん、ライブやコンサートではこういう機械声はどう歌えばよいか、
という疑問もあるのだけれど
それよりも、個性的なメンバーの各々の声を
無機的な機械音のように加工した歌声がファンに受け入れられるかどうか、
というとやっぱり受け入れらないのかなと。
「このパートは○○ちゃんが歌って、この次は△△ちゃんのパート、そしてサビは……」
というふうに、メンバーの声帯から発する声を期待する、
もしくはそういうことを考慮した楽曲を UFA は提供しているのだと思う。
もちろん、ジャンルとしてアイドルポップとテクノという時点では話が違って来るのだけどね。

こちらではハロプロの楽曲と機械声は相容れないとされていて興味深い。


私はテクノポップアイドルPerfumeのライブに行った時に、
Perfumeの楽曲でも「アイドルオタク的なノリ方をする人がいる」ということに
ビックリしたことがありまして、
そういう人はPerfumeのあの印象的なダンスを真似したり
MC中にいかにもアイドルオタク的な茶々を入れたりしてました。


Perfumeの「機械声」は典型的なアイドルとは印象が違うものになりますが
それ以外の部分で巧みにアイドルオタクが喜びそうなフックを沢山仕掛けている。
従って、単純な音楽的関心(テクノ方面の)だけで片付けられないところが
Perfumeの面白い立ち位置だと思いました。



アイドルマスター初音ミクと関連付けて語られやすいアイドルPerfumeという困難

簡単に言えば、「無目的化」「生活的必要からの逸脱」「無償性」に
氏の好みの眼目があり、
だから、無駄を削がれた合目的的機械の美しさを称揚する未来派ではなくて、
機械をその合目的性から倒錯させてしまうピカビアやデュシャンが氏の好みとなるわけである。


丹生谷貴志"龍は雨を呼ぶ"『ユリイカ 2007年8月号 特集=澁澤龍彦』p116)

「無駄を削がれた合目的的機械の美しさ」を見出す方向性と
「機械(的なもの)の合目的性からの倒錯」を見出す方向性。


あくまでも印象論でしかないが私はPerfumeに対する評価が
未来派的な感覚に近い意見が多いのではないかというような感覚を持っている。
未来派の運動に参加したルイジ・ルッソロが、
テクノミュージックやノイズミュージックの原典とも言えなくもない
「騒音芸術」を行なっているということも、引っかかる。これはこじつけだが。


機械の運動やスピード感などを新時代の美だとした未来派


そして、これもこじつけに過ぎないが
マリネッティが1909年に発表した「未来派宣言」の中には
女性への蔑視こそ、地球を健全に保つ唯一の手段だとはっきり記されている。

"【A面】犬にかぶらせろ!: 萌え論、または初音ミク論、もしくはPerfume論?"
http://www.hayamiz.jp/2007/09/perfume_3f62.html


対象との間に明確な地位の違いがあり、相手よりも自分が優位に立てる状況。
つまり両者の関係に階級差があることが「萌え」の要件ということ。
(中略)
3人(引用者注:Perfumeのこと)の歌声があの機械音に換えられて、
歌い手の自我が搾取されている状況が「萌え」なんだ。

"シロクマの屑籠(汎適所属) - 初音ミク――データベース化とシミュラークルへの限りなき欲求"
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070916/p3


しかし本当に恐ろしい子なのは、女の子の声までもデータベースとして自在に取捨選択し、
それをもって自らの願望-合致的なシミュラークルを生み出してしまう
オタク文化圏の人々のほうなのかもしれない。


上記二つの記事では
Perfume初音ミクへの消費の態度の中にあるものの一面を記述していると思われる。
(実は三次元アイドルに対するシミュラークルへの欲望というのは
80年代に一部のアイドルオタクたちが語り尽くしている内容である。)


だが、例えばPerfumeに対する語り方はそれだけではない。

"ニートホープ - アイドルはひとつの運動である―ニコニコ動画Perfumeサマソニ音源によせて"
http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20070816/p3


僕がしばしばPerfumeに関する「サブカル」側からの批評を見ていて思うのは
彼らがそうした彼女たちが人間でありながら神聖さと奇跡、
そして「愛」を兼ね備えた存在であることを意識的か無意識的か無視しているからである。

「消費-搾取-獲得ライン」として捉えるか
「感情移入-同一化ライン」として捉えるか


もちろん、これは単純に視点の違いと捉えればよいだけだが
私にはPerfumeに対するある種の倒錯を兼ね備えたものなのではないかと
そう感じさせもするのである。



初音ミクのつたなさ

"なつみかん。 | Perfumeアイドルマスターと、初音ミク"
http://tangerine.sweetstyle.jp/?eid=707333


実在の人間でありながら架空のアイドルを目指す「Perfume」、
架空の存在でありながら実在のアイドルを目指す「アイドルマスター」。

この2つの先にあるのは、最初から完全に架空のアイドルであるボーカロイドなのでは

的確なまとめである。
しかしその完全に架空のアイドルであるはずの初音ミクの開発元は以下のような発言をしている。

"声優ニュース.com - 話題沸騰の「VOCALOID2 初音ミク」の開発元クリプトンに質問してみた"
http://seiyunews.com/modules/news/article.php?storyid=1498


(記)「初音ミク」は以前のソフトとどのあたりが違いますか?

(ク)以前のソフトは割とオーソドックスな声質で、
童謡からフォーク、ポップスが得意な万能タイプのシンガーらしいシンガーです。
今回との大きな違いは、よりリアルで聞き取りやすい歌声になった事に加え、
人間には敵わない部分がある事を分析し、
逆に「つたなさ」や「機械っぽさ」も可愛らしく思えるような
女の子のアイドル・シンガーを目指しました。


完全に架空の存在である初音ミクは「つたなさ」という要素を付与されている。
本来「機械」に必要のない「つたなさ」という要素を何故彼女は持たされたのか?



嗣永プロの完璧なつたなさ

嗣永プロという言葉がある。はてなキーワードの解説を全文を載せてみよう。

"嗣永プロとは - はてなダイアリー"


Berryz工房嗣永桃子を指すベリヲタ用語。

主に、彼女の備える類まれないアイドルイズム、徹底的なキャラの作り込み、
物怖じしない態度(根性もあるようだ)、
そしてアイドルタレントとしての典型ともいえるその容姿や言動の可愛らしさなどが、
かつての酒井法子を彷彿とさせる、
だからそこにあるのは完璧なる自己プロデュースつまりプロ意識である
と彼女のヲタ(桃ヲタ)やベリヲタは感じとっているようであり、
そういった嗣永への賞賛そして萌えなどの気分を込めての尊称のようなものである、らしい。

「完璧なる自己プロデュース」を感じさせるアイドル嗣永桃子が演じるのは
「つたなさ」や「かわいさ」の表象。
「完璧」とは「欠点や不足がなく非常に立派なさま」を指す言葉である。
だが「完璧なアイドル」は「つたなさ」という欠点を魅せる人なのである。



「つたなさ」の二つの読み

[1]
例えば、古臭いフェミニズムの本などによく書いてあること。
職場において女性がちょっとした失敗をする(ドジをやらかす)ことで男性が安心させる。
そういう演技を女性が行なっているというような事例を紹介し
こういったことを女性がしなければならないのは
男尊女卑の世の中において、女性が男性より能力が高いことを示すと男性が癇に障るから
バカを演じることで調整をしていのだという。


こういった観点に立つのであれば、
完璧なアイドルが(実在のアイドルであれ架空のキャラやボーカロイドであれ)
「つたなさ」「かわいさ」を演じるのは
男に都合のよいものに過ぎないのではないかと思えてくる。


[2]
私は「つたなさ」や「かわいさ」を賞賛するもう一つの意味があるのではないかと考える。
合理性や経済性を追求する社会において
無駄なもの価値の無いものへの嗜好、合目的性を超えてしまう過剰なものへの嗜好。
有用性に支配された価値観を相対化させる力。
それこそが「つたなさ」を嗜好するもう一つの意味なのではないか。
(もちろんこの思考自体が男に都合のよい産物だという批判は甘んじて受け入れる)


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まぁPerfume,アイドルマスター,初音ミクより
中川翔子しょこたん)が好きな人間の戯れ言ですよ全部。








手首を切った。手首の傷の裂け目が女性器になった。
僕はナイフでクラスメイトを切り付けた。
クラスメイトは女性器になった。
先生も誰も彼も女性器にした。


世界中を切り刻んで、世界中を女性器にした。
世界は女性器のオブジェになった。


それから初音ミクの腹を切り割いてみた。
「子供なんかいないじゃないですか(笑)」


Nice boat

I am so all-American, I'd sell you suicide
I am totalitarian, I've got abortions in my eyes
I hate the hater, I'd rape the raper


オレはどっぷりアメリカ人だ お前の自殺も売り物にするぜ
オレは全体主義者だ 物事が失敗するのをこの目でずっと見てきたぜ
憎悪者を憎悪してやる 強姦者をレイプしてやる
(適当訳)


Marilyn Manson「Irresponsible Hate Anthem」)

Rape me, my friend
Rape me, again


オレをレイプしてくれ マイフレンド
さぁオレを犯してくれ
(適当訳)


Nirvana「Rape Me」)