高原英理:やなぎみわ「ゴシックの必然、シュルレアリスムの必然」断片メモ

あるいは、プラスチックの腐葉土の上に倒れこんでバラバラに分解された日の日記


・時:2007/11/8/19:00~
・場:ジュンク堂書店池袋本店
・注意:途中に挟まっている引用は今回のトークショーとは全く関係ありません。
・注意:主観メモなので実際のトークショーと言い回しや表現が異なる部分が多いと思いますがご了承下さい

ゴシック評論の第一人者高原英理と、現代美術家やなぎみわが誘う
ゴシックとシュルレアリスムの迷宮――
ゴシックを望む意識とシュルレアリスム的価値観とはある点で微妙に呼応する。
対象を死・暗黒・耽美等 になぞらえることで発生するゴシックという架空の体系と、
架空であるにもかかわらず、その体系を必要とする感受性、
そして、1920〜30年代の日本に成立したシュルレアリスムと前衛の歴史、
それが現在も 価値と連続性とをもつ理由、これらを探りつつ、
ゴシックな志向とシュルレアリスム的視線が交わる地点からアートと思想の根拠を考える。

ゴシックスピリット

ゴシックスピリット

Fairly Tale 老少女綺譚

Fairly Tale 老少女綺譚


・座る(『死想の血統』の樋口ヒロユキさんが客席にいるよぉぅ)
・高原さん真っ黒服。やなぎさん真っ白服


(やなぎ)8月の樋口さんと高原さんの対談で会った時以来

そのとき、高原さんの本2冊贈って頂いて・・・

神野悪五郎只今退散仕る

神野悪五郎只今退散仕る

小説の爽やかな読後感に意外


・(高原)もう1冊別名で出した小説はダークだから、こっちは・・・
・・・『ゴシックスピリット』は学術書でも評論でもない


・(やなぎ)『ゴシックスピリット』はメイン/サブカルチャー問わず縦横無尽・・・
・(高原)サブカルチャーが多い
・(やなぎ)マンガも読まれているみたいで・・・


花輪和一:絵は耽美,ときどきシリアス, (やなぎ)ゴスではない
丸尾末広:(ゴスの文脈で言えば)規範的な存在


・(高原)(美形を描くのに適している)絵の緻密さ。記憶力と絵の関係



(やなぎ)ゴシック,好きだが、様式美が退屈。“はずし(外れる)”が好き

・(高原)そこがアートとゴスの差だろう
・(やなぎ)"はずす"か"はずさない"か


・(高原)
ゴス―センスに従って集中していく
・(やなぎ)
アート―拡散していく。訳解らなくなっていく

薔薇、胎児、欲望その他幽閉しことごとく夜の塀そびえたつ
塚本邦雄『緑色研究』1965)

(やなぎ)美術はどのへんが好きですか?

・(高原)やっぱり澁澤龍彦から入っていく
「傍系のシュルレアリスト
「ラファエル前派」「ウィーン世紀末派(←世紀末芸術のウィーン分離派?)」
→主題(テーマ)が問題


・(やなぎ)
澁澤さんが紹介した具象的なもの→印刷でも伝わる
抽象絵画→印刷じゃ伝わり難い


・(やなぎ)(やなぎさん自身は)
高校生の頃ベルギー象徴主義の美術展に行った
大学で澁澤さんの本を読む
しかし(澁澤さんが紹介するようなものの)際立ったイコンの多さに飽きてくる


・(やなぎ)コンテンポラリーアートのジレンマ・・・「デュシャンになっちゃう」
「澁澤的フェティッシュ」/「前進のオブセッション(強迫観念)」もっと自由になりたい
この両者の間を堂堂巡りしている感じ

白日夢を墓場に変えて
夢の名残りを食い破る


(DEAD END「REPLICA」)

(やなぎ)現代美術はフィジカルなものが多くなっている

「オタクアートのコピー」「個人的な物語」「生身でぶつかっていく(60'sに見られたような)」


・(高原)「わざと」:知った上でならポストモダンだが、知らないで同じことをするという状況
→そのうち「知る/知らない」は問題にならなくなるのではないか?


・(やなぎ)上の世代からの否定をされずに来た(ような感覚がある)
・(高原)80's後半の雰囲気全般に言える
・(やなぎ)アートについて語る40歳代ぐらいのOBがそのときはダサク(泥臭く)感じた
「私は私」がクールな感じだと。


・・・・・・・・・(ここからしばらくメモ取るの忘れてた)



(高原)(あくまでも私<高原氏>の考えだが)アート―前進 / ゴシック―後退

ゴス:「過去しかいらない」「未来はいらない」
「未来の無さ」を始めてみた人がそれをアートと感じることがあり得る


・(やなぎ)自由の逆?自分を制限するような?
・(高原)人形作家はそういう側面があるかもしれないが・・・


「現在が耐えられない」という意識から未来に向かう方向と過去に向かう方向があると思うが
「過去に良い記憶があったんじゃないか?(本当はそんなのあるわけないのだが)」という意識

・(やなぎ)幻想の過去
・(高原)『オトラント城奇譚』は幻想の中世
・(やなぎ)実際の中世はそうでもないはず。


「悲惨と栄光のコントラスト」「最高に美しいものと最高に醜いもののコントラスト」

思い出せない歯型の跡に気がふれる
土に帰れば 幸せは来る?

LUNA SEA「TIME IS DEAD」)

希望の箱舟に貴族達は揺れ
奇病、奇形児、差別者は置き去りのまま

deadman「向日葵」)

(やなぎ)宗教的な洗礼をうけてない日本で何故ゴス?

・(高原)元々、キリスト教自体が現地に合わせて雑多に色んなものをとりこんでいくような性質がある

様式、趣味、好みの部分のみで好きになる


・(やなぎ)日本はダダイズムの根っこの政治性が曖昧なままシュルレアリスムが流行る
・(高原)アンドレ・ブルトン→「強度の強い現実」
・・・(メモし忘れる)
・(やなぎ)欧米のシュールレアリスムとは違う日本
・(やなぎ)どこまでも取り込んでどこまでも変容していく


・(高原)欧米のゴシックロマンス小説はそれなりに思想があったかもしれないが・・・
現在、日本で「ゴス」と言ったら「球体関節人形」と「ゴスロリ(ファッション)」で思想ではない


・(やなぎ)日本のサブカルチャーサブカルチャーじゃない



江戸文化:レベルの高い大衆文化

・(やなぎ)欧米の大衆とは少し違う、日本の大衆文化について

・(高原)
能:ハイカルチャー / 歌舞伎:サブカルチャー
(文化は)一回排除されてリターンすると強くなる
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・(高原)「楳図かずお新居」騒動はサブカルチャー差別(と煽っておく)


・(やなぎ)中国は今、美術館をどんどん建てている


・(高原)日本はメイン/サブの区別が曖昧なくせにサブカルチャーへの差別がある


・(やなぎ)アートの世界はマンガ・アニメ・ラノベ・・・に一方的なラブコールを送っている感じ



(高原)ゴスは全部「サブカル」で分類される

サブカルでゴス」と「サブカルだがゴスじゃない」の違い
ヴィレッジヴァンガードタコシェで一緒に売られている


・(やなぎ)現代美術はまた違った複雑なマーケット
欧米の金持ちがターゲット。そこにサブカルとの確執が(あるのか?)



・(高原)ゴスロックの経緯とダダ、シュルレアリスムの経緯

1:無方向な破壊 → 2:ある美意識へ

1:パンク → 2:ポジパン、ゴスロック

1:ダダイズム → 2:シュルレアリスム


・(やなぎ)日本はダダの部分が薄い
日本の戦前のシュルレアリスムは割とあっさり辞めちゃう


・(高原)明治になって文学者から批判されてすぐに辞めちゃった戯作者のような洒脱さ
・(高原)1930's転向問題。大衆はマルクスより天皇陛下が好きだったんだぁーという流れ。
思想家が洒脱でどうするんだという感じがしないでもないが
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・(高原)
シュルレアリスム-アート-前進-(どちらかといえば)左翼的なものへの親和性
ゴス-右翼的なものとの親和性(パンクバンドが右翼的になるように)-だが、政治思想に興味がない


・(やなぎ)ゴスの右翼はファッション的なもの?
嗜虐というか被虐というか。そういうものがファシズム的なものにも感じられる
・(高原)ゴスはファシズムではない。でもファシズムの人もいる(というような理解)
・(やなぎ)球体関節人形展でナチスの格好をした人がいたらしい
・・・



・(高原)不自由の名残としてのファッション→軍服、メード服、タキシード的(神父のような)

「自由を売り渡すかわりに、美という悦楽を得る」


・(やなぎ)自分が消されている快楽


・(高原)「自分大嫌い」を打ち消すためのファッション


・(やなぎ)私は「自分大嫌い」と「自分大好き」は同じだと思っているのだけど
・・・ゴスロリの娘のファッションは鎧のように見える。防御服のような。
あれがなくなると因幡の白ウサギのような・・・


・(高原)外形が意識を律することの気持ち良さ

「天翔ける鳥だったらなあ」と
愚行が言った。「そしたら飛んで行こう」
嘲笑する詩神(ミューズ)が妖精が、聞きつけた――
「お前は落ちるだけだよ――それでもやるの?
空には上れないけれど、
沼を這い回るのもよくないね」
そうだ、何という慰めの言葉だ! いま私は地を
一蹴して空にあこがれよう。


(ジョージ・クラッブ「夢の世界――阿片夢」
『夜の勝利――英国ゴシック詞華撰(1)』高山宏編・訳)

サブカルチャーとしての宝塚

・(高原)宝塚:享受者はアートだと思っていないだろう
・(やなぎ)親が宝塚ファンだった。親が宝塚に入れようとした。
宝塚はファンを先に見ちゃうと冷める


・(高原)宝塚ファンは隠さない人が多い / 腐女子はどう(隠す傾向が強いのかな)?

・(やなぎ)少女マンガ。少女性への嗜好

「花の24年組」とかにゴシック的なものの萌芽があった気が
・(高原)竹宮惠子風と木の詩萩尾望都ポーの一族
・(やなぎ)高野文子の初期作品の少女性


・(高原)ゴスというものが意識されるのは90'sから。
過去へ遡ると当時ゴスとは言われていないが、そういうものの萌芽は見える


・(やなぎ)澁澤さんが亡くなった後?


・(高原)(澁澤さんの時代は)「異端」と呼ばれていた様式を引き継いだ感じ


・(やなぎ)「異端」って何に対しての異端何ですか?


・(高原)(要するに売り文句なのだが)桃源社刊の「世界異端の文学」シリーズetc...
当時は幻想文学は今よりも主流ではなく、リアリズム文学の方が価値があると考えられていた。
だからそういう意味での「異端」という側面


後は「浅ーーい反体制」


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・「・・・は終わった」という言い方について。浅田彰的な。
・・・(面白かったがメモ取らず)


・(高原)現代音楽の話
・・・(面白かったが私が現代音楽に無知なため固有名等がわからずメモ断念)
前衛的なものが流行った時代→宗教的要素が強い音楽(保守的ともとれる)


・(高原)ポストモダンは「全部、価値が均等」という意味を含む
つまり、前衛でも保守でも価値は均等。前衛だがら良いとは言えない。
そうなると、後は趣味・好みの問題になるしかない。

「死」を旋律として歌うたうこの象徴の声の単なる音色の奇異なる甘美さだけしか、
彼は、音楽的に、高く評価しなかったのだ。


ヴィリエ・ド・リラダン「白鳥殺害者」『黒いユーモア選集 上巻』国文社,1968)

(やなぎ)何故今、澁澤さんが人気?

・(高原)(解らないが)
澁澤さんが紹介したものが現代でも十分通用するものであったということの証明としかいえない


・(やなぎ)晩年の澁澤さんは時事的なこと未来に向かう発言があったように思うが・・・
・(高原)(そうだったかなぁ?)
昔は時事的なものに触れなかったが、晩年は時事的なものに触れている
「異端」というポジションはもういい。そういうのは止めにしよう。(というような意識)
澁澤さんはプリニウス(『博物誌』の)が好きで、本当はそういったものがやりたかったんだろう。


・(やなぎ)澁澤さんのゴス的な部分はかなり演技していた要素が強い・・・


・(高原)澁澤さんはやはり「一人の作家」だから、ゴス的な部分とそうじゃない部分がある。
そういう多様な澁澤さんが好かれているのではないか



質疑応答

樋口ヒロユキさんの『死想の血統』を読んで、
ハンス・ベルメールの人形に関する記述で「永遠の死体」という表現があった。
・・・(以後、質問が上手く聞き取れず)


・(高原)ハンス・ベルメールは、ナチスと父への反抗として「最も男らしくない」人形づくりをした
ナチスがつくる未来への拒否」があったんじゃないか。
ハンス・ベルメールの過去への情景的な話を挟む)
そういったものが見る人によっては「永遠の死体」に見えるのか?


・(やなぎ)「死体は究極の被写体」「徹底して欲望される対象物
「女性がハンス・ベルメールの人形を見てどう思うかというのは微妙なところ。
私は気持ち悪いと感じた。」


ベルメールは人形作家ではない。
ベルメールは自画像をよく描いているが人形作家はあまり自画像を描かないような気がする
どちらかというとベルメールの人形以外の仕事に興味がある。

殺された時の数だけ 美しくなれるから
殺された僕は永遠に 愛されるだろう


LUNA SEAANUBIS

――――――――――――――終了――――――――――――――――――――――――


以上、LUNA SEA終幕ライヴのDVDを見て、INORANのあまりのかっこよさに鼻血が出た日の日記

LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME [DVD]

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特に感情を全開に出してプレイする
ボーカルとSUGIZOギターとドラムに比べて際立って動かない。
全員が喋っているのにINORANだけ隆一にヒソヒソと耳打ちして喋らない。
最高です。