エヴァよりも酒鬼薔薇事件に影響された最低な私

今まで「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を見た人たち(合計でだいたい10人ぐらい)と
会話して、とりあえず見た方が良いよと言われることが多かったが
多分私は見に行かないのだろう。


何故、見に行く気がしないのか考えてみると
あの当時からエヴァに興味が無かったということが何よりの原因ではないかと思う。


元々、アニメというもの自体をそんなに熱心に見ている方ではなかった。
だから、当時エヴァを見ても(多分再放送で騒がれていたころだと思うが)
アニメとしてのクオリティが凄いってのは何となく解るけど、特に何とも思わなかった。
他にエヴァにハマる可能性の要因としては
「心の闇」「世界の謎」「キャラ萌え(当時は明確にこの言葉は無かっただろうが)」「ロボット燃え」
などが挙げられるのだろうが、
正直なんちゃらレイやなんとかアスカにも何にも感じないし、
後ロボット(汎用人型決戦兵器人造人間)にも興味ないし。


そうなると「心の闇」や「世界の謎」的なものに興味を持てばよかったのだろうが
その時はあまりピンと来なかった。

エヴァ:1995〜1997/少年の心の闇,キレる17歳ブーム:1997〜2000


エヴァは劇場版も含めると1995年〜1997年の辺りだと思います。


一方、エヴァとは全く関係ない話を唐突に始めてしまうことになりますが
神戸連続児童殺傷事件が1997年で、西鉄バスジャック事件が2000年。
振り返れば1997年〜2000年は
少年犯罪がマスコミにセンセーショナルな形で取り上げられていた。
その際によく使われたキーワードが「心の闇」「キレる17歳」などであった。

二〇〇〇年の一年間、マスコミにとって「十七歳の犯罪」は「売れる商品」として、
棚の一番手前――というよりも店舗の入り口の、
目玉商品コーナーの燦々たるライトの下に置いておくべき「ヒット商品」だった
ということである。


矢幡洋『殺人者の精神科学』,春秋社,2002)

猟奇犯罪とヴィジュアル系があればエヴァ見なくてもよかった

"づんd2unのはてなダイアリー - 10代の僕とヴィジュアル系と音楽番組と猟奇事件。"
http://d.hatena.ne.jp/d2un/20070617/1182036723


西暦に直すと酒鬼薔薇聖斗の事件が起こったのは1997年の5月になる。
当時キー局の番組で唯一ヴィジュアル系を専門的に取り上げてたBreak Outっていう
音楽番組でヴィジュアル系四天王って言われてたバンドが軒並みメジャーデビューした年だ。

酒鬼薔薇聖斗事件と90年代後半のヴィジュアル系ブームの同時代性
といったものは個人的には強く感じる。
(別にヴィジュアル系聴いてる人が犯罪を起こすとかそういうアホな意味ではない)


エヴァのシンジ君は当時の言葉で言えば
アダルト・チルドレン的な雰囲気で(元々の概念とは違う意味になってるけど)
私がエヴァにハマるになる唯一の可能性として
このシンジ君の感性に共感するという方向がありえたのだろうが
酒鬼薔薇聖斗ととヴィジュアル系バンドがその辺の嗜好をきっちりカバーしてくれたので
私はエヴァをそういった意味でも必要としなかった。


エヴァを見るよりもネコの屍体を探すことに没頭した。
エヴァを見た人はネコの屍体は探さなかったのか?




などと呟いてみても結局「トラウマがある私」という状態を求めていただけ。
「何もない私」よりマイナスであろうとも「何かある私」でありたかっただけ。
仮に新しいヱヴァが純粋にエンターテイメントとして水準の高いだけのものであるのだとしたら
それこそ本当に私にはヱヴァを見る意味が発生しない。
私はその程度の人間だ。