アイドルは恋愛を賛美する歌を歌わされているのにアイドルが恋愛をするのは芸能的には致命的なように一部では感じられてしまうのは

日本の文学は不幸な歴史をもっていて、
事実応用するような場合のない人にまで、「嗜み」として和歌を作らせ、
お茶、花、琴などと一列にして、歌も少しは教えてありますなどといって
お嫁にやる時の条件にしたりした。
そのため、本当はどこの恋だったのかと談判されると、閉口するような
「待つ恋」だの、「待ちて会わざる恋」だのを、平気で若い娘さんも書いたのである。
これが日本の文学の一つの大きな歴史であったことに注意しなければならない。
こういうフィクションの歌をいちばんたくさん詠んでいるのが坊さんであるというのも、
興味あることである。


柳田國男柳田国男全集(21)故郷七十年・海上の道』)


和歌を詠むお嬢さんが、現実の恋愛体験がなくても恋の詩を作ることが可能なように
アイドルがいくら恋愛の歌を歌い、恋愛の詩を書き綴ろうとも
それが現実の恋愛体験と対応している必要は全くなく、
大量にある「恋のシチュエーション」データ集から、それらしいモチーフを拾ってくればよい
ということであろうか。


と、断言しきれれば何の問題もないのだろうが
アイドルの歌が、歌い手/聞き手にとって、
「内面」を表出するものであるかのように機能するところが一筋縄ではいかないところなのかもしれない。


言葉の組合せ-内面-キャラはなんか毎回同じこと書いてるような気がしてくる。

「キラキラした人」と感情語使用頻度(カワイイ/キモイ)。「しょこたん語・こりん星語」の儀式性 - 死に忘れましたわ
http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20070726/1185447619