『STUDIO VOICE』2008年05月号 特集 グラビア写真の魔力!!メモ
●スタジオボイスのグラビア写真に関する特集記事(p26-75)の個人的メモ
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2008年 05月号 [雑誌]
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マンガ誌/週刊誌が発達した日本固有の文化「グラビア」。
海外と異なり、ファッション・フォトグラファーといわゆる写真家の棲み分けが根強い日本では、
グラビアを撮ることが写真家が一般に認知されるための近道ともなる。
本特集ではそんな「グラビア」の魅力を、
写真論的観点とアイドル論的観点の両面から徹底分析!
写真を育てた「女たち」と「グラビア写真」の魔力に知る!!
(STUDIO VOICEのホームページより:http://www.studiovoice.jp/studio-voice/)
篠山紀信インタヴュー グラビアの変化と普遍
この子の本質的な魅力をどう表現するのか?
今まで表現されてきた魅力と別の一面をどう引き出すのか?
そうやって、写真家としての"ある種の欲望"を持って被写体と接することが大事だと思うんですよ
藤代冥砂コラム 簡単なこと
最近思うのだけど、私は被写体から必ず勝手に何かを奪っている。
暴力性とはそのことだと思う。
よく写真は恋愛に喩えられたりもする。私は全くそうは思わない。
あれらが恋だと言えるのだろうか。
●メモ
写真家が"ある種の欲望"を持って被写体を撮影することは「暴力」であるのだろうか?
風景写真は自然に対する暴力なのか?
暴力を通して感動の涙を流す。
対談 沢渡朔 x 藤原江理奈 写真表現のための“グラビア”とは?
(藤原の発言)
どの雑誌にも媒体ごとの「正解」の写真があると思うんですね
(藤原の発言)
漫画雑誌のグラビアというのは、やはり女の子が元気でピチピチしている感じを求められるので、
工夫して撮ってもボツになることがありますね。
●メモ
雑誌媒体によって写真の見方が変わるということはあるように思う。
少々古い例だが、マリア・シャラポワのほぼ同じ構図の写真が
「テニス雑誌」に載っている時といわゆる「週刊誌」に載っている時、
両者の写真に含まれているメッセージの内容が違う。
ただ、もちろん「テニス雑誌」を「パンチラ目的」で見ても誰も咎めないし
写真の作り手の意図とは違った解釈可能性があってもよい。
写真の作り手も「媒体が持つ正解写真」を崩していく努力をするのだろう。
原幹恵インタヴュー「グラビアはホームなんです」
はい。胸が大きいのが、小さな頃から嫌で嫌でしょうがなくて。
そのせいで、猫背になっちゃったぐらい。
対談 「月刊」編集長 宮本和英 x MOTOKO “アンチ・グラビア”としてのグラビア
(MOTOKOの発言)
月刊シリーズが創刊された頃のファッションモデルって、あまりにも体が薄っぺらすぎて、
私はちょっと辟易していたんですね。
グラビアに出ているような女の子が着れば、
ファッションとしてもっと映えるし肉体としても美しいのにって、
亘つぐみさん(いまや月刊にかかせないセクシースタイリスト)と話していたりもしたし。
●メモ: 「胸の大きさがコンプレックス」/「ファッション雑誌のモデルは体が薄っぺらい」
QJのインタビューでも、ほしのあきが胸の大きさがコンプレックスだったと語っている。
今回の原幹恵さんのインタビューやQJのほしのあきさんのインタビューを比べてみると
コンプレックスであった胸を「武器」という形に認識し直すことで
グラビアに適応し、尚且つ自己肯定感を得るという共通の過程が見えてくる。
また、宮本和英 x MOTOKOの対談記事で面白かった箇所は
「グラビアの女の子」と対比される形として
「ファッションモデルの体の薄っぺらさ」が語られる下りだ。
この二つの記事と関連して大変参考になるのは以下。
本当の巨乳はモテない - リコリスコリス
http://d.hatena.ne.jp/liquorice/20080402/1207123246
しかし、日本の服というのは全体に薄く作られていて平面的なのです。
服の作り手というのは、ゲイの男と、性を拒絶した女がほとんどです。
女子社会のヒエラルキーの最上位は「ステキな服を着こなせる子」です。
「ステキな服を着こなせる」ファッションモデルのような子は体が薄っぺらい(傾向にある)。
そして、胸が大きいことをコンプレックスだと感じさせる社会的要因が現代の日本にはあるが
一方で「ボイン」→「巨乳」という形で胸の大きさをもてはやす男性メディアも存在すると。
さて、宮本和英 x MOTOKOの対談記事では
「両性に愛されるグラビア」という言葉がキーワードになっている。
そのためには「ファッションを取り入れたグラビア」が重要だとMOTOKOさんは語っている。
QJでは、若槻千夏がグラビアを「女の子に見てもらいたい」と発言しており、
そんな若槻千夏が現在、古着販売の仕事をしているというのは、ある意味納得できる。
年代別重要被写体リスト 70’s〜00’s
●メモ
アグネス・ラムからリア・ディゾンまで。
色々な人が個々の写真集に短評を書いている。
こういった語り口(評論家的)が嫌いな人は多いかもしれない。
沢山ある短評の中から個人的趣味で一つ取り上げたいと思う。
00年代も半ばにさしかかり、アイドルにもしゃべりの器用さが重要視され始めた時期、小倉優子photo & story book―りんごももか姫
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そのアンチテーゼのように現れたのが彼女だった。
「萌え」という名のロリータキャラを徹底し、世間に浸透させた力業。
そう、平板な胸になんとも冴えない笑顔。それをアイデア一発で乗り越えた「優子りん」こそ、
いつかこの10年が回顧される時に語られるべきだ。
(前一太)
これは私の表現だと「こりん星はコミュニケーションツール」ということなんですが、
http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20051121/p1
基本的に他の短評もこういう感じで書かれている。
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こういった語り口と対照的なのは、みうらじゅんとリリー・フランキーの「グラビアン魂」であろう。
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単純化を恐れずに書くと、
スタジオボイスの語り口は「グラビア写真を撮った/撮られた人間」という面に比重があり
みうらじゅんとリリー・フランキーの語り口は「グラビア写真という作品」という面に比重がある。
スタジオボイスの中では渋谷直角が書いた「最新妄想アイドル」や
灸怜太が書いた「パーツで選ぶグラビア写真集」などは、グラビアン魂に近い感じで、
グラビア写真という作品をもとに巧みな妄想力を駆使しながら語っている。
だから、今回の特集のなかでこれらの記事は浮いていて面白い。
アイドルオタクとしては「グラビアン魂」が正解なんだろうなぁ。
だが「グラビアン魂」は、みうらじゅんとリリー・フランキーだからこそ「セーフ」なだけで
「エロオヤジの妄想戯れ言」と紙一重なんじゃないか、とSPA!を見るたびに思ってしまう。