ライムスター宇多丸『マブ論 CLASSICS』出版記念トーク&サイン会 参加メモ+++


とき:2008-07-10
ばしょ:タワーレコード渋谷店 B1F STAGE ONE
ゲスト:杉作J太郎
サイト:http://playlog.jp/rhymester/blog/2008-06-17


ライムスター宇多丸さんと杉作J太郎トークイベントに参加。
やはり杉作J太郎さんが面白すぎ。
自分のイベント整理券番号が比較的最初の方だったので、
50人ぐらいしか来ないのかと思ったら、軽く100人越えててビックリ。

ライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008

ライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008


――――――――――以下メモ書き――――――――――――――


・J太郎「これソロアルバムでしょ」
・J太郎「これは良いキ○ガイ」
・J太郎「良い神経質」
・J太郎「(本の内容は)だいたい思い込みでしょ」「だけど納得いく思い込み」


宇多丸
「気取って評論しているつもりが、何時の間にか入れ込んじゃうのがアイドルソングの良いところ」


宇多丸
(取り上げるアイドルソングについて)
「マイナーアイドルは貶せない」(有名じゃないのにわざわざ取り上げて貶したりしたら・・・)
(結果的に)
「叩いても影響がないレベルの人 or 知られてないけど良いと思う人」を書く傾向にあった


宇多丸
「もうPerfumeで客観的なこと書けない!!!!」
「だからもう俺がPerfumeについて書いてること気にしなくていいよ」


宇多丸
「(アイドル)本人に会いたくない」
「アイドル本人と会うと『頑張れ』って気持ちしかでてこなくなる」


宇多丸
「『評論』と『アイドルが好き』の食い合わせの悪さといったら・・・」



本日の名言
『BUBUKAだから』


――――――――――以上メモ書き,以下駄文――――――――――――――



前列の方で椅子に座りトークを聞けたが
サイン会の順番が後列から開始されたため、1時間ぐらい待ち惚け。
その間に『マブ論』をパラパラ読む。


前書き部分に宇多丸さんの個人的な評価傾向が書かれている。

●ディスコ、ハウス(というかバスドラ四つ打ちもの全般)、PWLサウンド、ファンクなど、
どちらかと言うとオーセンティックなダンス・ミュージックが基調となったものに、
わかりやすく甘い。
(中略)
●ロック調、フォーク調、バラードなどには比較的興味薄め。


(『マブ論』p11)


これを読んで何か腑に落ちた。自分と全く逆だ。
私は音楽的センスが皆無なために、モーニング娘。Perfumeの楽曲の良さが余り解らないのだが
(ここで恥ずかしい過去を語ると、中学生の時はモーニング娘。の曲を生理的に嫌悪していた)
(Perfumeはライブに足を運んだにも関わらず、ロック調のアレンジのハレパンの方が好きだった
http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20070122/p1)
自分はアイドルソングを聞く素養が足りないのかもしれない。反省した。



サインの順番がくるまで『マブ論』をぼぅぅっと読んでる


だから、宇多丸さんの著書を読んで引っかかるのは
モーニング娘。Perfumeについて書いている箇所とは関係がない部分だ。

私の考えるところ、そもそもアイドルというのは、
アイドル的なものをあえて「演じる」振る舞い(『ぶりっ子』!)そのものだったのではないかと。
かつては歌も踊りもお芝居もその意味でこそ同一線上に置かれていたがゆえに、
それぞれの分野において技量が「本業レベル」であることは特に求められていなかったわけです。


しかし、80年代後半以降の「"ぶっちゃける"時代」の到来(とんねるず秋元康の台頭から『2ちゃん』まで)に、
そうした「あえて」の虚構性は耐えられなくなってくる。


何かの「フリ」をする(ましてや誰かにやらされて!)なんて欺瞞的だし古臭くて恥ずかしい、
(それこそ『アーティスト』のように内発的な)
「自然体」をそのまま出すのが偉いしカッコいいんだ、的な風潮が主流になってゆくなかで、
まさにその「フリ」こそが本質的であるアイドル文化は、
いわゆる「突っ込みどころ満載」な対象として貶められがちになっていったと。


(「"演じる"アイドルたち――「劇中キャラ」ブームを考える」『マブ論』p259)

あーちすと(笑)/あいどる(笑)


『「アーティスト」=自然体/「アイドル」=フリ』という認識は
かつての『手作り(フォーク以降のシンガーソングライターブーム)/非手作り(歌謡曲)』
と相似形だと捉えられるかもしれない。
つまり、80年代後半以降の「"ぶっちゃける"時代」の到来以前の1970年代には
『「自作自演のアーティスト」/「分業システムの歌謡曲」』という分類と
前者を高級とし後者を低級とするような価値観は出来上がっていたのではなかろうか。
そういう前提があるからこそ、
近田春夫大瀧詠一が歌謡曲を分析するような仕事が「高踏的な趣味」として流通するのである。



椎名林檎の「自作自演」は「アーティスト/アイドル」の対立を突き破る


しかし『「アーティスト」=自然体/「アイドル」=フリ』は恣意的な対立でしかない。
その対立のウソを強烈に認識させる存在としては椎名林檎を挙げるのが適当であろう。
彼女はデビュー当初自らを「自作自演屋」と称していた。
普通は「自作自演」は「自分で作詞作曲をしているアーティスト」といった意味で使用されるが
椎名林檎が使用する「自作自演」の意味がこの水準にあるわけではないというのは一目瞭然である。
彼女は楽曲ごとにセーラー服を着たり(幸福論)、ナース服を着たり(本能)と過度に演出的であった。
「虐待グリコゲン」「天才プレパラート」「発育ステータス」といったバンド名(絶頂集)は
過剰な印象とは裏腹にひどく表層的である。


こういった演出をみると椎名林檎における「自作自演」とは
『自分で作詞作曲してるけど、それを歌う表現者椎名林檎」は<私>が演じている別物だ』
という意味合いだとひとまず考えることができそうだ。


たとえ自分で詩を書いたり曲をつくり、それを自分で歌っていても
それがそのまま「自然体の私」を表現していると短絡的に捉えるのは間違いなのである。
逆にアイドルという「フリ」をそれが「フリである」という理由だけで低級だと考えるのも
何か違うという気がしてならない。


このへんの感覚を宇多丸さんは以下のように語る。

(宇)
作品ってのは、作りこんだ完全なウソの世界なわけでしょ?
でも、(アイドルソングは:引用者注)そこに生身を置く感覚。虚の中に実を見るみたいな。
これは他の音楽にはなかなか無い部分ですね」
(吉)
「基本が虚像ってのがおっきいですよね」
(宇)
最初に"虚"って言っちゃってるからね。
他の音楽は"虚"のモノを、これは"ホンモノ"ですって言うじゃないですか


(吉田豪,宇多丸「なぜ歌うアイドルは素晴らしいのか!?」
『UP to boy (アップ トゥ ボーイ) 2008年 08月号』 )

UP to boy (アップ トゥ ボーイ) 2008年 08月号 [雑誌]

UP to boy (アップ トゥ ボーイ) 2008年 08月号 [雑誌]


したり顔で「これはホンモノです」と言われるものに根本的な懐疑の目を向ける必要がある。



「キャラソン」とアイドル文化


宇多丸さんは『いまや「歌をうたうアイドル」は、
例えば「劇中キャラ設定」といった一種の言い訳を経由することでのみ、
辛うじて世間的に「開かれた」存在として成立し得る』(『マブ論』p259)と発言する。


ここで、キャラソンについて考えたい。
キャラソンとは、アニメのキャラクターが歌っているという設定のCDのことを指す言葉である。
宇多丸さんが唱えるアイドルの「劇中キャラ設定」は
まさにこのキャラソンの在り方に近いものだと言える。

涼宮ハルヒの憂鬱』の曲とかが、そのへんのヘタなアイドルソングより機能してるのは、
キャラの物語があって、そのキャラが歌ってるからキュンとするという構図ですよね。
久住と月島きらりも、まさにそうなわけで。
だから、女優系のアイドルがCD出す時は、役柄が歌ってる設定にするのもアリですよね。


(吉田豪,宇多丸「なぜ歌うアイドルは素晴らしいのか!?」
『UP to boy (アップ トゥ ボーイ) 2008年 08月号』 )


例えば、現在放送中のアニメ「マクロスF」ではヒロインの一人ランカ・リー
1980年代のアイドル風の曲を歌い、
しかもそれが(アニメ内の)多くの人に受容されていくといった物語展開を見せている。
「歌をうたうアイドル」をアニメというフィルターを通して成立させようとする良い例である。

星間飛行

星間飛行

(どうやら、中島愛さんは「80年代のアイドルのレコード」集めが趣味であるよう)

アイドル的なパフォーマンスも、“ランカ・リー”というフィルターを通すことで、
受け手にもより届きやすく、受け入れやすくなるでしょう


(ランカ・リーと80年代アイドル - 狐汁)
http://nakazato.blog.shinobi.jp/Entry/100/


これはモーニング娘。が当初「ASAYAN」という
テレビ番組内の物語を背負って登場したことと類似的に考えられるかもしれない。



歌声の向こうに「身体」を


VOCALOID 2」キャラクター・ボーカル・シリーズ初音ミク」を巡る議論は
「キャラ」と「歌声」の問題を考える上でとても重要なものを含んでいると感じる。

われわれは歌声の背後に、歌う現実の身体を想像してしまう慣習から逃れられない。
VOCALOIDのようなテクノロジーはやがてその慣習を柔らかく崩していくだろう
(われわれはもうすでにドラム・ビートの背後に人間を想像しない)が、
いまだわれわれはそこから自由ではない。
(中略)
バルトならぬわれわれは、身体なき声の背後にやはり「身体」の形象を探し求め、
虚構キャラクターをその位置に当てはめる。


(増田聡 "「作曲の時代」と初音ミク"『InterCommunication』No.64 2008年spring,NTT出版,p83)


例えばPerfumeがどんなに歌声を機械的にいじられていても
Perfumeはあの3人の「存在」なしには成立しえないだろうということはすぐに予想できるが、
増田聡氏は初音ミクがキャラクター性を帯びている背景として
われわれはただの歌声の素材の後ろに
その歌声を出す「存在」を見出さずには入られないという心象を指摘する。


身体なき声の背後を「虚構キャラクター」が埋められるのだとしたら
現実の身体を持ったアイドルは必要なくなるのであろうか。



「アイドル」というメディア経験は私たちの古い脳をだます程度には人間に近い


なぜ、アイドルは現実の身体を持っているのか。それが不思議でしょうがない。

映像の中の動き、とりわけ視聴者に向かってくるような動きは、
あたかも実際に存在する物体が向かってくるかのように、
脳内の生理的活性を刺激する。映像もまた、自然な経験なんだ。


(バイロン リーブス,クリフォード ナス,2001,翔泳社
『人はなぜコンピューターを人間として扱うか――「メディアの等式」の心理学』)

なぜこんなことが起こってしまうんだろう?
人間はまだ現代のテクノロジーに見合うほどに進化していないから、
というのがその答えだ。
(中略)
人形は、考えてみれば人間とはあからさまに異なっているのだけれど、
私たちの古い脳をだます程度には人間に近い。


(同上)

宇多丸「黒アイドル」/伊集院光「処女ドル批判」


「コラム界のアイドル左翼」ライムスター宇多丸さん――TBS RADIO ストリーム コラム要約 - 死に忘れましたわ
このコラムは宇多丸さんの話のポイントが上手くまとまっている。


ここで宇多丸さんが提唱する概念「黒アイドル」と対になっているのは
2008-6-23のTBSラジオ伊集院光 深夜の馬鹿力」において語られた
「処女ドル批判」のくだりであろう。


伊集院光は「処女ドル」という言葉はおかしいのではないかと疑問を持つ。
「いつも心に童貞を」でお馴染みの伊集院光的には
建前としては「アイドルは処女」であり、従って「処女ドル」はトートロジーではないか。
逆に「私はヤリまくってますが」というアイドルがあらわれた場合は
「それは特殊な例」で片付けられるので問題はない。


だけど「私は処女のアイドルです」と宣言する「処女ドル」なる概念の存在は
「それ以外のアイドルは処女ではない」と暗に語っているようなものであり、それはおかしいではないか。


この話を一通りした後、伊集院は「自分がおっさんになったのか」と呟く。
「アイドルは処女」という建前が常識としてあった時代はとうに終わり
「アイドルって言っても若くて可愛い女の子はそれなりにやってんだろ」が常識になってしまったのか。


写真週刊誌やネットなど、幻想を守りきれないメディアが台頭している現在
『「純潔かヤリマンか」という二つの分類しかないというのはもう時代遅れだ』として
これからは普通に男と付き合っていても問題がない「黒アイドル」概念を流通しようとする
宇多丸さんは、現状認識は伊集院と同じなのに、対処の方法が異なるようにみえる。



その他参考にしたもの


・「ライムスター宇多丸のマブ論CLASSICS」/宇多丸 - 空中キャンプ

アイドルソングを聴く」とはおそらく、そのアイドルに対する思い入れを、
歌詞や曲の世界に仮託しながら、自分の中でイメージを広げ、
想像の中でアイドルに近接していくような行為になるのだろうとおもう。


http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20080707#p1

『マブ論』書評。


椎名林檎についてメモ - 居眠り姫、レミニッセンスをキカイにたたきこむ

椎名林檎もビジュアル系バンドも、
彼らが持つ意匠のルーツをアカデミックな側面から
学習していく事をその客層の大部分が拒むという共通性を持っている。
歴史性を持たない「意匠」に固執しそこに留まり続けるのが
このあたりの文化圏の人間が持つ特徴である。



http://d.hatena.ne.jp/comeca/20060702

この文章はずっと心に残っていた。
多分アイドルも「意匠」が過剰である点が似通っている。


・くびき - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ

ぼろぼろになって打ちひしがれてみじめなまま
汚泥にその肢体をたゆたわせる末路までが、アイドルヲタの生の一連でも、その存在を肯定する。


http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20080709/p1

極端な話、モーニング娘。はさっぱり解らないが、
モーヲタと呼ばれる方々のブログの水準の高さには感動する。







――――――――――今日のBGM――――――――――――――
下川みくに「輪舞~revolution~」「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」

Review~下川みくに青春アニソンカバーアルバム~(CCCD)

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中川翔子「輪舞 -REVOLUTION」「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」
しょこたん☆かばー×2~アニソンに愛を込めて!!~(DVD付)

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両者とも同じアニソンをカバーしているので聞きくらべるのも面白いかも。