毒蟲27

Imamu2008-07-08



とき:2008-07-07
ばしょ:新宿ロフトプラスワン

最上級のアングラ・エンターテイメント!
平日の夕暮れに突然展開される、エロティックかつ耽美でおバカな見世物空間。
一度迷い込んだら癖になる、中毒者急増中の大注目ショウケース。
さあ、御覧あれ。 


半死半生のまま観覧致します。睡眠薬を服用したため意識朦朧の中で観覧です。
様々な舞踏も見ごたえがあります。
特に
鮮血シーン、緊縛ショー、SMショー、サスペンション(人肉巨大フック吊り)、自縛パフォーマンスが
印象に残ります。
だけど、間にお笑いコントが挟まれているような雑多感もたまりません。



緊縛、SMのシチュエーションにおいて
火のついた蝋燭を口に銜えさせてから、鞭で打つ。
痛みで聲を出したいが口を開けると蝋燭が落ちてしまうので我慢する。
「うぅ」「うぅ」「うぅ」「うぅ」「うぅ」「うぅ」「うぅ」「うぅ」・・・・・・



布、繩、金属のフック、素材は違うが
「身体を縛る」「身体を吊る」という行為はほぼ共通の方向性としてあるようだ。



空間を貪食するかのように、中空を掴もうと身体を攀じる。
存在の痼りがほぐされていくかのように。その指の切っ先に何を見るのか。



昔はニュース報道の殺人事件が好きだった。だけど、今は以前ほど食指が動かなくなってきた。
マスメディアが流す殺人事件の物語に興味が湧き辛くなったのかもしれない。

私がこの本の編集中に知ったような「事実」は特別に興味のあるものではない。
本書に収められた殺人者の頭文字は、AからMが圧倒的に多い。
私はそれが、なぜであるか知らない。
これは事実でも、全く意味のないことである。
多くの殺人の事実についても同じことが言える。


(コリン・ウィルソン『殺人百科』1993,彌生書房,p11)


物語を欠如させた血、傷、死体に興味がシフトしているのだろうか。
そもそもそんなものは存在するのだろうか。



舞踏、緊縛、自縛、サスペンションなどが面白いのはそこに明確な物語がないからだ。
もちろん舞踏やSMショーはBGMやパフォーマンスの構成があるので、何もかも出鱈目ではない。
しかし、その構成はあくまでも象徴的なものに留まっている。
従って観客は、お話の内容ではなく純粋に「そこにある身体」を見ているのではなかろうか。
物語化されるぎりぎり手前にある身体を。



緊縛、自縛、サスペンションなどの「身体の痛み」は
一般的な「ケガ・病気」のときに同情する/されるような「痛み」とは違うのかもしれない。
単純に、縛られたり金属のフックを身体に突き刺す種類の「痛み」を
多くの人が経験していないので想像しにくいという事実もあるだろうが
もっと根本的に、容易く「同情」に回収されない「痛み」なのではないかと感じる。


マスメディアによる殺人事件報道の物語の違和感は、それが同情を引き起こすよう設計されている所にある。
被害者遺族を巡る報道はもちろん、
加害者においても生い立ちや生活環境を丹念に調べることで、殺人に至った背景に同情の念を喚起させられてしまう。
多分、そこで興ざめしてしまう。
もう被害者に冥福を祈りたくないし加害者の卒業アルバムもさほど見たくはないのだ。



だけど今日も殺人のニュースをご飯を食べながら見ています。


――――――――――――今日のBGM――――――――――――――――
bjork「Hyper-Ballad」(毒蟲27イベントで流れてきたので)

Post

Post

僕はたぶん「マイナス」です。「プラス」からそう呼ばれてるんです。
それは、まぁ、何となく分かるんです。
『負い』
君が「プラス」に成りました。君は僕を何て呼ぶのだろう?
それは、まぁ、君に任せるとします。


正しいコトも悪いコトも、くるくると廻り続けてる。
「いっそのコト、誰もいなく成ってしまえば良いのにな・・・
・・・なんてね。」


(グルグル映畫館「皆殺しのエチュード」)

センテンス 意義は有るケド 硝子張り

センテンス 意義は有るケド 硝子張り

脳みそショートケーキ 召し上がれ
あなたのお口の周り
あたし脳足りん
クリームくりん
つるんと飲み込んだなら 可愛くKiss


イカレポンチな夜に


(つしまみれ「脳みそショートケーキ」)

ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ
ご飯 ご飯 ご飯 ご飯
ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ
ご飯 ご飯 ご飯 ご飯
ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ
ご飯 ご飯 ご飯 ご飯
ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ ブタ
ご飯 ご飯 ご飯


湾曲 情報
瞳孔 誤作動
錯乱する 人間
ねじ伏せられる 人間


闇を喰らえ 謎を喰らえ
今日を生きる そのために
謎のままが 良いことを知る
明日につなぐ ブタの汁


残飯 残飯
雰囲気 残飯


(中略)

虚像を 愛せよ
謎のまま 愛せよ
うつわだけ 欲しいなら
真実は 要らないから


夕(陽)は新大久保を ブタ色に染めて
やがて皿に盛られるのは 漆黒の飯


残飯 残飯
喰らわば 残飯


霧!夢!霧!無!魔!無!真!無!


(大槻ケンヂ木村カエレ「豚のご飯」)

絶望大殺界

絶望大殺界

高原英理トークイベント「ゴシックスピリットの共有者達――『COMMUNIO』創刊から休刊まで」メモ


とき:2008-07-05
ばしょ:GALLERY PLATFORM STUDIO
http://platformstudio.nobody.jp
注:『communio』とはmixi内のコミュニティ「ゴシックカルチャー研修会」の会誌のこと

ゴシックスピリット

ゴシックスピリット


――メモ(主観入り,聞き間違い可能性大故注意)――

『communio』vol.1 ゴスとメンタルヘルス


ネオリベ:お金を担保にして生きる
メンヘラー:クスリを担保にして生きる

『communio』vol.2 人形


人形作家、安藤早苗氏インタビュー


アメリカ人はどう思うか解らないが、日本では人形-ゴスロリ-などが繋がりやすい」


「"何処に逃げ場を求めるか"で立ち位置が変わるが
"現在が生きづらい"という意識は共通している」


「今日も誰か死んでいるし、自分もいずれ死ぬし」


●ゴス=札
「この札を付けておくと便利だからつけているだけで」
「例えば、横浜美術館でやったゴス展。
個々のアーティストは別に"自分がゴス"とかそういう意識はない」


●ゴス≠主義
●ゴス=センス、感覚
「主義、主張ではない」「どちらかというとセンス、感じ方」


(一つのポイントとして)
●身体の受け取り方
「身体の損壊、死体、傷、そういうものに親しいという感覚。
そういうものが自分の意識の表現に適しているという感じ」

『communio』vol.3 変容する身体


藤沢周「DEAR/OGANDORI/COMMUNIO」
高柳カヨ子「静謐にして、爛々たる」


ゴスロリゴスロリしか(それに近いものしか)着ない傾向。
SMはオプションの一つとして(ゴス的なものも)着る傾向」


●死蝋,屍蝋(しろう)

永久死体の一形態で、
死体が何らかの理由で腐敗菌が繁殖しない条件の下に置かれ、
かつ外気と長期間遮断された結果、腐敗を免れ、
死体内部の脂肪が変性し死体全体が蝋状・チーズ状になったものである。
ミイラとは異なって乾燥した環境ではなく、湿潤かつ低温の環境において生成される。


(Wikipedia-死蝋の項より)


「長野県は特産品は死蝋」(気候が適しているらしい)
「文学作品でも取り上げられる」「江戸川乱歩『白昼夢』」


●自殺として処理されてしまう死体
「身元が特定できない死体は自殺として処理される」
「死体発見の状況、状態から明らかに自殺ではない(殺人)死体も
身元が解らないから(統計上)自殺というかたちに(カテゴライズされる)」
「そういう人に限って、歯医者に行ってない・・・」


「みんな、歯医者には行っておきましょうね」
「足の指紋とかとっておくといい」

『communio』vol.4 廃墟


建石修志 x 高原英理「ゴシックと廃墟の相互作用」


中井英夫の装丁でお馴染み」


「生々しくない画」
「廃墟というテーマは意識しているようで(カスパー・ダーヴィト・)フリードリヒの話をしていた」

『communio』vol.5 エロティシズム


S&Mスナイパー」誌編集長(そして写真家)渡邊安治氏インタビュー


「『少女コレクション序説』の話題が出ていた」
澁澤龍彦さんは、ある種の意識の方向に名前を与える役割を担っていたところがある」


●性、アメリカにおけるゴス
アメリカの体育会系至上主義について・・・」


(多分『ハイスクールU.S.A.――アメリカ学園映画のすべて』の話だと思われる)

ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて

ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて

アメリカ学園の序列社会」


・Jocks:体育会系。アメフト、ラグビー
Queen Bee:女の勝ち組。チアリーダー

・Wannabe

・Goth(ゴス)はNerds/Geeks/Brainなどと同じく下位に位置する。


アメリカにおいてゴスのイメージは)
「黒い服着て、文学だとラヴクラフト・ポーあたりを読んで、たまに占いをやって」
「魔女的」


アメリカではゴスっぽい人は『お前レズビアンだろ』という形で攻撃・揶揄の対象になる」
「ゴスと性的マイノリティーが必ずしも一緒というわけではないが」


ヘテロセクシュアル至上主義は人を追い詰めるシステムになっている」

『communio』vol.6 浸蝕


小谷真理氏の話


「逆にゴスじゃない人=裏表がない人」になる

『communio』特別号 樋口ヒロユキ x 高原英理 トークショー


「トーキングヘッズ叢書」の話
夜想」の話


変成男子(へんじょうなんし)とは、古来、女性は成仏するのが難しいとされ、
いったん男子に成ることで、成仏することができるようになるとした思想。
法華経提婆達多品で、8歳の竜女が成仏する場面を由来とする。


(Wikipedia-変成男子の項より)

ヴィクトリア女王の治世1837年から1901年は英国の黄金期であるばかりでなく、
英国の美術にとっても黄金期であった。
この時代には家庭の平和といや増す繁栄があり、それらが絵画が花開く条件につながっていた。


(中略)


ヴィクトリア朝は多くの人に、感傷、過度の上品さ、装飾過剰を連想させる。
しかし、ヴィクトリア朝の画家はいまだかつてない産業革命の成果と、
全面的な社会や道徳観の変化をうまく描き出した。



(中略)


ヴィクトリア朝は今日では多くの矛盾の一つと考えられている。
幅広い層で威儀や節度が洗練されていったことと、
嘆かわしい現象の拡大は、矛盾しているように見える。
こうした現象には、売春、児童労働、および、
今日では労働者階級の搾取や帝国主義による植民地の搾取と考えられる活動に
ほとんどの基盤を置く経済を含む。
このため、ヴィクトリア朝的価値観という表現は、
長短あわせ持つ、という意味で使われることがある。


(Wikipedia-ヴィクトリア朝の項より)


「偽善と差別を美しく描いてしまった時代」
「間違っているのに、あんまり綺麗だから惹かれるという感覚」


――メモ了――

関連する以前の日記

高原英理:小谷真理『ゴシックの夢、ゴシックのリアル』感想日記 - 死に忘れましたわ
高原英理:やなぎみわ「ゴシックの必然、シュルレアリスムの必然」断片メモ - 死に忘れましたわ
トークセッション「ゴシック・ロリータ・日本」(樋口ヒロユキ・高原英理)メモ - 死に忘れましたわ
小谷真理×高原英理ト−クショウ「ゴシック精神・傷・身体・人形」 - 死に忘れましたわ




――当日のBGM――

呼吸に絡まる血の香りが 恍惚の夜に漂う
鮮血に染まる未来の時刻・・・ 激しく悶える本能


(MALICE MIZERBeast of Blood」)

Beast of Blood

Beast of Blood

Hi Miss Alice.
あなた 硝子の眼で
どんな夢を
見られるの?
魅入られる?


(分島花音「still doll」)

still doll

still doll

Kraftwerk「The Man Machine」

Man Machine

Man Machine

Sigur Ros「Gobbledigook」「Vid spilum endalaust」「Festival」
Med Sud I Eyrum Vid Spilum Endalaust

Med Sud I Eyrum Vid Spilum Endalaust

自殺を美化する曲大好きっ子宣言!/9mm Parabellum Bullet「Supernova」で妄想

Imamu2008-06-01


自殺を美化する曲大好きっ子宣言!――My Chemical Romanceによせて

A phantom to lead you in the summer,To join the black parade.
(夏に幻妖がお前を連れていくだろう、黒いパレードに加えるために)


My Chemical Romance「Welcome to the Black Parade」)

マイ・ケミカル・ロマンスのファンだったという13歳の少女が自殺したという
ニュースを目にしてから、久しぶりにアルバム『ザ・ブラック・パレード』を聴きなおしている。

The Black Parade

The Black Parade

『Daily Mail』紙は、ティーンエイジャーが自殺した原因を報道するにあたり、
マイケミを“自殺のカルト・バンド”と称した。
自殺した少女の両親によると、
少女はテディ・ベアが首吊りするイメージをフィーチャーした
エモのウェブサイトをよくチェックしており、自殺を美化している傾向があったという。


My Chemical Romance : マイケミのファン、バンドの名誉挽回のためデモ行進 / BARKS ニュース)
http://www.barks.jp/news/?id=1000040234


それに対してマイケミはオフィシャルサイトで以下の反応を見せた。

My Chemical Romance are and always have been vocally anti-violence and anti-suicide.
マイ・ケミカル・ロマンスは常に、暴力反対、自殺反対のスタンスでいる)


(23 May 2008 - 6:29pm: A MESSAGE FROM MY CHEMICAL ROMANCE
http://www.mychemicalromance.com/news#node_453


このやりとりを見て、どうしても既視感を覚えてしまう。
「自殺を美化する危ない連中を排除すべし」という主張と
「オレたちはそんなんじゃない」という反論。
特に「オレたちはそんなんじゃない」に続く言葉が
大抵「むしろオレたちは希望や愛や生命の尊さを主題にしている」といったものに落ち着く構図に。


この種の展開は
別に実際に<自殺>という事象が起こったことに対する反論の際に急遽持ち出されるものではない。
例えば、『ザ・ブラック・パレード』発売時のインタビューでも
マイケミによる同様の発言を聞くことができる。

特にこのアルバムに関して言えば、僕達は“生”を直接的に象徴した物語を作りたかった。


マイ・ケミカル・ロマンス
『曲を通じて聴き手にメッセージを伝えていきたい!』-ORICON STYLE ミュージック)
http://www.oricon.co.jp/music/specialeng/061213_01.html


実際にアルバムを聴きなおしてみたが、
たまたま現在の私の体調が良いことが幸いして、自殺したいという考えにはならなかった。
「Welcome to the Black Parade」のPVを見ても
「死んで全てが終わる」ようなメランコリーな感覚よりも
「We'll carry on(僕らは続いていく)」
「And though you're dead and gone, believe me(例え君が逝ってしまっても、僕を信じてくれ)」
という部分に重点が置かれている。
続いていくために(何が続くのか?それは個々の聴き手に委ねられた問題かもしれない)
「ブラック・パレード」は盛大に行なわれているように思える。


順当に考えれば、
My Chemical Romanceの音楽が好きなことと、自殺に至ってしまったことを
直接の因果関係として結びつけるのは無理があるだろう。


だいたい、何かの曲を聴いて何らかのメッセージを受け取っただけで
人は自殺してしまうものなのだろうか。
ただの音の羅列と、ただの言葉の羅列で、人は自殺してしまうのだろうか。
そんなわけないじゃないか。



私には何も出来ない。死んでしまったHannah Bondさんの代わりにマイケミを聴くことぐらいしか。




――――――――――――――意識が途切れる・・・―――――――――――――――――――




「死を描くことで逆説的に生を際立たせる」という方法論は
「死」をテーマにした作品をつくるための免罪符のように機能している節がある。


「自殺を誘発しないような曲」など何の興味もないんだよーーーーーーーーーーーーーーー。
「自殺を誘発する曲」万歳。万歳なんだ。万歳なんだ。


強烈な音と、強烈な言葉で、思わず自殺してしまうよ。思わず自殺してしまうよ。





――――――――――――――意識が途切れる・・・―――――――――――――――――――


問題は「死を美化することの倫理的な断罪」や
「実は愛や希望を謳っているのだという主張」といった次元にあるわけではない。


自殺してしまうかもしれない、死に憧れてしまうかもしれない
そんな私たちが、どのように希望の言葉を紡げるのだろうか?
そういったギリギリの問いかけ部分にこそ焦点をあてるべきであろう。


マイ・ケミカル・ロマンスの関係者の証言によると、彼らは全員「甘党」なのだそうだ。
さあ、我々も血糊四本分の愛の言葉を携えてスイーツを食べに出かけよう。


――終――
●関連する以前の日記
マリリン・マンソンが好き。ボクの代わりに母親を殺した彼へ。ゴメンナサイ - 死に忘れましたわ







9mm Parabellum Bullet「Supernova」で妄想

9mm Parabellum Bulletの新譜「Supernova」を狂ったように聴いている。
本当に良いバンドだと思う。

Supernova/Wanderland

Supernova/Wanderland

「Supernova」最初は印象的なギターフレーズとサビの箇所のドラムが好きだったが
聴きこんでいくうちに、歌詞が気になってしょうがなくなってきたので、以下に妄想を垂れ流す。



サビの部分の歌詞から。

誰の胸も音を立てず粉々になるだろう
その欠片が散らばっても 集めたりしないで
満月の向こうに何を見ていたの?
砕けた星の海


「胸が粉々になる」とはどういう状態であろうか。
「胸=心=思い」であり、粉々になった「胸=心=思い」が
空にある「星の海」の沢山の欠片と対になっていると考えるのが妥当だろうか。


思いが空に届いている(もしくは届いていない)。


しかし、私は「胸が粉々になる」を肉体が実際に粉々に内側から吹き飛ぶ様だと想像したい。
ちょうど『北斗の拳』において
ケンシロウに北斗百烈拳をくらわされた者が「ひでぶ」と叫びながら頭や胴体が破裂するように。


よく、死んだら人は星になる、などと言うが、
バラバラに吹き飛んだ肉塊の欠片と「砕けた星の海」が対になっていると考える方が
私にとっては心地良いので、やはり、私はこちらを採用する。



書を捨て、金属バットを持って、街へ出よう。
見かけた人を殺してしまおう。殺してバラバラにしたらキレイな星になる。
そんなステキな星の殺人鬼。殺人気の星へ。




十万度の太陽を抱きしめた時
砂漠になった僕の頭は
吹き抜ける風に冷やされる度に
涙の雨の水滴がきらめいた


上記部分の歌詞。
「涙の雨の水滴」がびっしりで、白目だらけでフラフラしながら
今にも頭が「バーン」と破裂しそうな、「バーン」って。
飛散した肉片と血と汗が「ビシャッ!!」って。


アツイ、アツイ「ビシャッ!!」って。



歌詞を2番へ読み進めていくと
「十万度の太陽」が「十万度の体温を持つあの娘」に変換されていることに気が付く。
「音を立てず粉々」になる胸に対しては
「何もかもを照らし出して粉々」になるスーパーノヴァ(超新星)が配置される。

何もかもを照らし出して粉々になっても
輝くため燃やしたもの 忘れたりしないで


「十万度の体温で抱きしめてくれたあの娘のことを助けたいなら」
粉々になった後に胸の欠片を「散らばっても 集めたり」はしないで、

指先で触れるだけ
傷あとを開くだけ

そして粉々になった後に「輝くために燃やしたもの」を忘れないと決意する方がよい。



「十万度の体温で抱きしめてくれたあの娘」のために
粉々になった胸の欠片は「集めたり」してはならないのだ!!!!



「十万度の太陽」と「十万度の体温を持つあの娘」が結びつけられ
超新星」という宇宙の出来事と「粉々になった胸」が対になっている。
穿った見方をすれば「セカイ系」の主題に近いと言えるかもしれない。
ここでは「セカイ系」の定義の細かい話は脇に置いておいて
「内面の自意識の過剰」その結果としての「中間項を省いた世界との直結」
といったイメージで用いている。



もう一度サビの部分を見てみる。

誰の胸も音を立てず粉々になるだろう
その欠片が散らばっても 集めたりしないで


何故、粉々になった胸を集めることを拒絶しているのだろうか。


みんなの胸(心)が粉々になってそれを一つに集める行為を想像するとしたら。
エヴァンゲリオンの「人類補完計画」的なものであろうか。
9mm Parabellum Bulletボーカルの菅原卓郎の詩は
「みんな溶け合って一つになる」様を拒否しているように思える。


この詩中にある「満月の向こうに何を見ていたの?」
という問いに「あの娘」は決して答えてはくれない。


私たちは解り合えないまま、いつか粉々になるだろう。
「音を立てず」に。つまり何の前触れも予感もなく突然に。
でも「指先で触れるだけ」。その先には「十万度の体温」が・・・


――終――

『小悪魔ageha』2008年06月号「病んだっていいじゃん」

Imamu2008-05-16

小悪魔 ageha (アゲハ) 2008年 06月号 [雑誌]

小悪魔 ageha (アゲハ) 2008年 06月号 [雑誌]

私たちの破壊と創造
私たちは人間だから病んでいる――age嬢24人の心の奥のほんの少しの本当の物語。


荒木さやか

寝る寝る寝る・・・そんでお金だけ減ってく。あたしのひきこもり時代。

人間腐りそう


桜井莉菜

無視されるって地獄やな シャワー浴びながら毎日泣いとった

心の中真っ暗


武藤静香

あたし裏切られてる? 裏切られてたとしても認めない。認めたら、あたしが壊れちゃうから


・ねむ

泣きたいときは知らない町の土手でひとり大声出して歌うの


・りん

あの頃人間の中であたしが一番不幸だと思ってた


桃華絵里

死んだら楽になれる。だから死にたい。


・姫崎クレア

ずっと一緒だったのにもう二度と戻らない


・早川紗世

右側からの顔しか他人には見せなくない。

昔からずっと非対称な顔が嫌いだった。


鮎川りな

ほっといてよ

「もうテレビ出ないんですかぁ?」そう言われんの、めっちゃ嫌やった


・山口幸乃

スランプだからってこの仕事を辞めるわけにはいかない。


・純愛(すみれ)

居場所がなかった。家出もできなかった。私にとって18歳が人生のスタート地点。


・奈々子

私は脳みそが幼稚園からずっと同じなの


椿姫彩菜

結婚してない私の未来。一生ひとりぼっちなの?


・神子島みか

別にひとりでも平気。ただ「ひとり」を思い知らされるのは嫌だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・家村マリエ

水商売を恨んだこともあった。ママを憎んだこともあった。でも、私も同じ道を選んだ。


愛川もも

愛して欲しかった 迎えにきて欲しかった お父さんに。


・西山りほ

人に期待すんのも約束すんのも恐い。うまくできる自信がないねん。


黒瀧まりあ

あたしが好きな「一人」は「独り」じゃなかった。


・一条ありさ

毎日毎日毎日毎日お金のことを考えて、休みの日でもお金のことを考えてた

マグロって泳いで進んでないと死ぬらしいじゃん。それと一緒。


・川出美里

「幸せ」がわからないんですよ。

必要とされる人間になりたい。生きてくために、夢が欲しい。


・きんきらきん

出勤すると頭が痛くなる。電車に乗ると涙が出る。


・なみ

「嫌だ嫌だ、終われ終われ」

大声を出さないで。子供部屋を思い出すから


神河ひかり

お金のためだけに夜にしがみつきたくない

でも、いつまで続くんだろう。


・春菜まり

週の半分以上蹴られてた それが普通だったから

ちょっとひと休み 悩んだっていい。前に進めなくてもいい。私たちの魔法の言葉

(出典元がかなりあやしい)

自分らしく生きる事で傷ついても、
一度きりの人生をなくして生きるより、
私らしくありたい。
たとえ万人に好かれる事よりも、
自分らしく生きる事の方が難しくても。
仮面かぶって、好かれるために生まれたわけじゃないから。


浜崎あゆみ

全ての女性は4匹のペットを飼うべきなの。
クローゼットにミンクのコート、ガレージにジャガー、ベッドに勇敢な男、
そして何にでも金を出すバカ男よ。


パリス・ヒルトン

俺がやったドーピングはただ一つ、努力だけだ。


ディエゴ・マラドーナ

物事ってえものは、うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがあるんです。
心配事や悲しいことから、うれしいことが生まれてくるもんですナ。


古今亭志ん生

ノートにこんがらがっている問題を書いてみる。
複雑に思いたいのなら複雑に書けばいい。
うまく書けないなら、書けない状態を書けばいい。
これで、もう、ほどきはじめたことになるのだ。


糸井重里

行動に際して、あまり臆病になったり神経質になることがないように。
すべての人生が実験なのだ。実験すればするほどうまくいく。


エマーソン

どうして、自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。


アインシュタイン

始まりは・・・嘆きさ。
そう嘆きから始まったんだ。


ボブ・マーリー

人生は一度きりだから生まれ変わるなら生きているうちに。


長渕剛

すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。


ソロー

苦しいという思いは、その人が苦しさを乗り越えられるからこそやってくる。


イチロー

努力して必ず成功するとは限らない。でも、成功した者のほとんどが努力している。


長州力

大丈夫ですよ。終わりがあればまたいつか始まりますから。


タモリ

シンデレラは夜遊びをしたから幸せになれたんだよ。


東国原英夫

嫌なことがあると全部いいって投げ出したくなるときがあるでしょ。
でもしばらくすると、やっぱり生きていこうとしてる自分がいる。
なぜなんだろうって考えたことがあった。
いったい何に希望を抱いているんだろうって思った時に、
あぁ自分じゃない誰か つまり人間という存在そのものが希望なんだと気付いた。


浜崎あゆみ


―――――――――――――今日のBGM―――――――――――――

居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待出来るのか分からずに
(中略)
人を信じる事って いつか裏切られ
はねつけられる事と同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった
きっと 色んなこと知り過ぎてた
(中略)
一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が当り前と思ってた


浜崎あゆみA Song for ××」)

A Song for ××

A Song for ××


―――――――――――――読書―――――――――――――

思考は現実化する―アクション・マニュアル、索引つき

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7つの習慣-成功には原則があった!

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人を動かす 新装版

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ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か

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制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

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5/4 hide memorial summit

Imamu2008-05-05



まだ五月だが、今年の夏が終わった。



「なんて素敵な曇り空でしょう」
「日焼け止めをこまめに塗り直す苦労が軽減されそうですわ」

「メインステージと左右にサブステージが2つ設けられているね」
「バンド間の待ち時間が少なそうだ」「トイレ大丈夫かな」

・heidi.
1.tell me
2.泡沫
3.レム


hideのカバー曲で幕を開ける。
続いてはテレビ東京の「VISUAL SHOCK」のCM中によく流れていた二曲を演奏する。
昔のムックやメリーを髣髴とさせる、昭和歌謡風の解り易いメロディライン。



・TOKYO YANKEES(東京ヤンキース
・LADIES ROOM (レディース・ルーム)


「最早、歴史上の人物。旗振ってるよ。エクスタシー祭りだ。これは」



(自分の両サイドと前後は、完全に後半のルナシーとエックスだけ目当ての客だな)
(いいもん。ディルとムックはまわりを気にせず立って見るんだ)

―-------------------Dir en grey--------------------------
1.THE FINAL
2.REPETITION OF HATRED
3.Grief
4.MISCAST
5.Conceived Sorrow
6.dead tree
7.Obscure
8.Dozing Green
9.朔ーsaku-
10.THE IIID EMPIRE


中盤の「Conceived Sorrow」で涙が出た。
Dir en greyは良くも悪くもボーカルが肝であって、それ故に好き嫌いが分かれるだろう。


今回も、口の中を手で無理やり引っかいて血を流し、鼻に指を突っ込んで血を流し、
腹も腕輪の金具部分を使い傷つけて血を流した。
「Obscure」演奏中には「あの」グロテスクなPVを流していた。
MCも殆どなく、エックスのカバーであるMISCASTを除けばいつも通りのパフォーマンスをしていた。


しかし、この圧倒的な破壊性と絶望の果てに見える景色が心地良い。



「ぎゃーー京かっこよすぎる!!!!!!!!」
「MISCASTのときの薫のライトハンド」
「すごいよ。このセットリスト。FINALも好きだし、Conceived Sorrowから朔まで感動しっぱなし」
「これで『鼓動』やってたらもう絶対失神してたな」


the Underneath
「ダメだトイレガマンできない」
hideの「DOUBT」カヴァー



・D'espairsRay


hideのPOSEカヴァーからスタート。演奏がかっこ良い。特にドラムが好み。
ミニアルバム「BORN」の頃の重い曲調ではなく、割と爽やかな楽曲が多いのが印象的だった。
多分、BRILLIANTとMIRRORを演奏したと思うのだが定かではない。



―-------------------ムック--------------------------
0.ホムラウタ(SE)
1.蘭鋳
2.梟の揺り籠
3.志恩
4.ファズ
5.DICE
6.リブラ


最初、音響悪くてベースとギターが聴こえてこなくて非常に残念。
せっかくの蘭鋳なのに。
しかし中盤以降は持ち直してきて、ファズやリブラは聴ける程度に回復した。


それにしても逹瑯のMCは安心して聴いていられる。
もちろん私がムック大好きだから当然といえば当然なのだが
逹瑯が素晴らしいのは「ムックに興味がない客」を完全に視野に入れてトークをするところだ。
今日この会場にいる人間の大半がエックス、次いでルナシーを目当てに来ていることは明らかで
逹瑯はそういう客層が喜ぶツボを押さえ、
適切なエピソード(ミュージックステーションのhide「Dice」を見て衝撃を受けたという話)を入れて
自分たちの楽曲に興味のない人にも話を聞いてもらおうとする姿勢が感じられる。


「自分なんかに全く興味がない他人に対して、どういう言葉を投げかければよいのか?」
逹瑯はこのへんの微妙なセンスが非常に優れていると思う。



「ユッケー!!!!!」
「ファズはライブで聴くと好き」
「リブラ、もうちょっとボーカルのマイクの音量あげてーーー」

OBLIVION DUST


打ち込み部分が多いせいもあるかもしれないが演奏がかっちり安定しててよい。
楽曲も素晴らしい。KEN LLOYDの絶叫と静寂を織り交ぜたボーカルもかっこいい。
家に帰ったら、昔のCDを引っ張り出して聴き直そうと決意する。



―-------------------LUNA SEA--------------------------
セットリストは合っている自信がない。


0.月光(SE)
1.PRECIOUS...
2.G.
3.Dejavu
4.SLAVE
5.SCANNER
6.IN SILENCE
7.BLUE TRANSPARENCY〜限りなく透明に近いブルー
8.ROSIRE
9.TONIGHT
10.WISH
11.UP TO YOU


序盤のDejavu、SLAVE辺りのSUGIZOのギターがあまり聴こえなかったのが残念だが
IN SILENCEからはしっかり聴こえてきて、特にTONIGHTのINORANのリフで大満足。



RYUICHI、Dejavuの後ぐらいにグラサン外して、UP TO YOUの前にまたグラサンかけなおしてるw」
ネクストーーーー。ブルートランスペアレンシー」「ギャーーーーーーーーー!!!!!」
「みんなかっこよすぎだろ、おい」

―-------------------X JAPAN--------------------
セットリストは相変わらず合っている自信がない。


0.Amethyst(SE)
0.World Anthem(SE)
1.Rusty Nail
2.Scars
3.Silent Jealousy


hide映像
ラストライブ後インタビュー(聞き手は恐らく東海林さん)
YOSHIKI初対面時の印象
FilmGIGのメンバー宅訪問
HEY!×3出演時映像


4.Without You
5.紅


「短時間でこんなに何回もウェーブやったの初めてだよw」

〜アンコール〜
6.Endless Rain
7.I.V(サポートギター:SUGIZO


〜ここからお祭り騒ぎ、無敵バンド
ピンクスパイダー(ギター:YOSHIKI、ドラム:真矢)


リュウイチ、イノラン、ジェイ」


「ヨシキさん。ルナシー叩いてくださいよ」


「おまえら、めったに見れねーぞーーーー」


・BELIEVE
(ボーカル:TOSHI RYUICHI ギター:PATA SUGIZO INORAN 真矢 ベース:HEATH J ドラム:YOSHIKI



・X (ボーカル:TOSHI RYUICHI ギター:YOSHIKI SUGIZO PATA ドラム:真矢)
(というか達郎やらTMRやらゾロゾロ出てきた)



「Silent Jealousy」のピアノイントロ時点で、感無量。
「紅」「Endless Rain」「ピンクスパイダー」を熱唱。
「BELIEVE」も聴けてよかった。
まさか自分がエックスジャンプをする日が来ようとはおもわなんだ。



帰り際入り口にあった、ガクトの花束と清春の花束を凝視する。

「掟ポルシェが真面目に語るゼロ年代アイドル論」を読む


・雑誌『m9(エムキュー)』所収の「掟ポルシェが真面目に語るゼロ年代アイドル論」を読んでのメモ。

m9(エムキュー) (晋遊舎ムック)

m9(エムキュー) (晋遊舎ムック)

●基本的な主旨は読売新聞のサイトにある「宇多丸×掟ポルシェ対談 完全版」に近い。

宇多丸×掟ポルシェ対談 完全版完成!
: Pop Styleブログ : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2007/10/post_ee87.html

●以下メモ

「親衛隊 ― 体育会系,喧嘩強い系」/「アキバ系 ― 文化系,草食系」


掟ポルシェ氏によれば、80年代頃にアイドルの応援形態としてあった「親衛隊」は
体育会系的な人間が中心となって構成されていたが
アイドル人気が低下した後の90年代初頭(いわゆる「アイドル冬の時代」)に残ったのは
今日「アキバ系」と呼ばれるような
文化系、草食系で喧嘩が弱そうな男子が多かったという。(本当かどうかはわからない)



モーニング娘。物語性から萌えへのシフト


今思えば「ASAYAN」は自己表現病誘発番組だったのであろうか。
さておき、この話に関しては、掟ポルシェ氏の記事より以下が参考になる。

2-05 モーオタにおける「物語」とは - activeエレン
http://d.hatena.ne.jp/eal/20060920/1158762232

彼女たちは、アサヤンというバラエティ番組から誕生した。
バラエティ番組出身としては、それこそ前出の「おニャン子クラブ」などの前例はあったのだが、
女子生徒の放課後の遊び感覚の延長こそが「売り」であったおニャン子と違い、
基本的にモー娘は、ぬるま湯ではなかった。
アサヤン内では「生き残りをかけた」、つまりデビューできるか否かといった窮地に立たされ、
少なくとも彼女たちは本気だった。
それが真実であったかどうかは、実はあまり問題ではない。
アサヤンという番組は、そういった彼女たちの生死を懸けた懸命さを克明に描きだしていた。

アサヤンは、モー娘というグループ、モー娘のメンバーが「モー娘としていられること」を、
ことさら誇張して強大なものとして見せていた。
そこには、例えば、少年漫画の手法*1が取られていた。
(中略)
であるから、つまり、そのような
「漫画的なモー娘に魅せられたモーオタとは、モー娘を「偉大なる虚構」として認識する」


・もっと具体的には以下

2x モー娘とは物語である 物語の構造 - activeエレン
http://d.hatena.ne.jp/eal/20070122/p4


・そこから萌えへ。

2-04d-04 虚構主義 どうしてモーオタ間で論争がたえないのか - activeエレン
http://d.hatena.ne.jp/eal/20070118/p7


誤解を恐れずにいえば、ラブマ以降、辻加護ミニモニ。)のブレイクを経て、
モー娘のメンバーは急速に「萌え化」した(ように映った)。
(中略)
旧来派にしてみれば、まず、UFGに対する痛烈な批判がある。
モー娘の楽曲やパフォーマンスとは元来エンタテインメントではあったのだが、
これまでの「楽曲主義」を捨て、
メンバーのキャラクターを前面に出すことこそを良しとする方針転換こそが元凶であり、
結果萌え派を増長させた。
つまり、モー娘という「物語」を終わらせたのは、萌え派からの売上、
すなわち目先の利益ばかりを追究したUFGの責任である。

結局Perfumeが良いという話になる


いち早く、Perfumeに注目していた掟ポルシェ氏。
だいたい、ブログでファンの人たちが書いてることと同じようなことが書かれているので省略。

「キャラクターを作りこんだ「萌え」はもう先がない」

ゼロ年代アイドルソングは、草食系のオタク男子たちに
「僕はアイドルにエロを求めているわけじゃないんだ」という
言い訳ができるようにしておかないといけない。


(「掟ポルシェが真面目に語るゼロ年代アイドル論」『m9(エムキュー)』,p85)


その言い訳に最適なツールがPerfumeということになるのだろうか。
確かに、擬似恋愛機能が全面に押し出されたアイドルがもはや成り立たないというのはわかるが
「言い訳」のためにわざわざPerfumeを聴くのがアイドル文化なのだとしたら、
そんな文化滅んでしまった方がいい。


勿論、掟ポルシェ氏は
アイドルの楽曲だからって適当に作らずに、質の高いものを作るべきだ、
というようなニュアンスで、語っているのだろうと好意的に解釈する方が自然であろう。


だが、この記事単体で読むと「結局Perfumeは良い」という風にしか読めない。



「萌え」に先がないはずなのに、掟ポルシェ氏は何故、久住小春の曲をプッシュする?


だから、『m9(エムキュー)』の記事だけ読んで
掟ポルシェが真面目に語るゼロ年代アイドル論」だと思ってはいけない。

掟ポルシェの赤黒い日記帳 : 久住小春は天才だ!いやその逆だ!賛成の反対!
http://blog.excite.co.jp/porsche/7842843/


月島きらり starring 久住小春モーニング娘。)の2ndアルバム『きらりん☆ランド
にとんでもない爆弾が収録されている!なので緊急全面支持!!!!!!!!!!


こんにちぱ」という曲を絶賛している。
聴けばわかるが、決してこの曲は「クラブで流しても大丈夫なオシャレな曲」などではない。
むしろ、ちょっと笑ってしまう。
草食系のオタク男子の言い訳としてならPerfumeを聴けば十分であるはずなのに
何故、掟ポルシェ氏は「こんにちぱ」を押すのか。


いや、実はこれこそが掟ポルシェの真骨頂なのであった。



『「アイドルマスター」は「文化現象」である!』を読む


さて、ここで突然、同じく雑誌『m9(エムキュー)』所収の
id:sirouto2氏の中の人の別名義の人が書いている(自分で書いててよく解らない)
『「アイドルマスター」は「文化現象」である!』を参照したい。


タイトルの通り、この記事は、ナムコのゲーム「アイドルマスター」について書かれている。
id:sirouto2氏の中の人の別名義の人は(自分で書いてて意味が解らない)
ニコニコ動画の有名なアイマスMAD「とかちつくちて」について以下のように書く。

しかし、「とかち」に「人は過剰な『内面』『肉体』を読み込んで」いるから
大流行したとは感じない。
むしろ、徹底して外面性と記号性の表面に留まっていると感じる。


(中略)


「とかち」に魅了された者は、繰り返し動画を再生することによって、
記号の背後の複雑な内面を想像するのではなく、
むしろ記号自体に同一化しようとする。
すなわち、物語から行為へ移行する。
「とかち」の「萌え」は無我夢中で歌い踊る楽しみの享受なのである。


前後の文脈がないので、この引用だけでは少々解り難いかもしれないが
ここで、示したいことは、あるコンテンツを楽しむときに
『背後の「内面」を読み込み楽しむ』方法と『意味のない「記号」のままで楽しむ』方法と
少なくとも2通りはあるのではないかということだ。


月島きらりstarring久住小春モーニング娘。)の「こんにちぱ」という曲は
アイマスの「とかちつくちて」を見るときの快楽と近い気がする。
こんにちぱ」を聴くときに
例えばその歌詞の世界観の背後を考えたり、深読みしたりといった行為はあまり意味をなさない。
もっと純粋に音韻的な快楽の方が強いように思う。


従って、久住小春が「こんにちぱっぱーこんにちぱー」と歌い踊る際には
素直に「こんにちぱっぱー」と歌えばよいのである。


以下のように、Perfumeの曲の歌詞を深く読み込んで得られる楽しさとは違った快楽が
こんにちぱ」にはある。

QuickJapan EDITOR'S BLOG: QuickJapan77号Perfume特集おまけ座談会 4
http://quickjapan.seesaa.net/article/94328836.html

全く話はまとまっていないが終わり

Perfume久住小春を両方を語ってこそ、掟ポルシェの真面目なアイドル論となると思う。


マリアの心臓「少年愛の美學展(第二部)」見学記

Imamu2008-04-27



・2008.04.03〜5.11開催中。人形博物館「マリアの心臓」にて

足穂の飛行機好きは有名だが、足穂の飛行機がかならず飛ばない飛行機、
あるいは落っこちなければいけない飛行機であったのと同様、
ともすると足穂の少年愛も、実行を伴わない少年愛ではなかったろうかという気がする。
だから、この『少年愛の美学』を実践的なホモセクシュアルのすすめだなどと思ったら、
それこそとんでもない見当違いであって、「ときわの山の岩つつじ」ではないが、
むしろ官能の歓びは断念にあるとさとったほうが足穂の真意に沿っていよう。


澁澤龍彦「回想の足穂」――稲垣足穂少年愛の美学』1986,河出文庫


澁澤龍彦の表現を借りるなら
少年愛の美學展」は実践的なホモセクシュアルのすすめではなく、
墜落する飛行機、掴もうとしても掴めない、あの雲を追いかけるような
そういった非実践的、観念的な産物であろうか。



・市松人形
:ふっくらとして目が(人形にしては)細い。黒目が多い。おかっぱカワユス。前髪パッツン!!
・イタリアのアンティーク人形
:アヘンを吸う少年が香ばしい。

・絵画
山本タカトの「MALICE MIZER」。「月下の夜想曲」の衣装。

月下の夜想曲

月下の夜想曲

:横井まい子が描く少年の目の付近には年輪のような皺がある。
その他の部分の肌がキレイなだけに印象深い。





体重のない子供、きらきら光って黒く沈む。
メガロマニー(誇大妄想)と血痰にまみれたユキノシタ(Saxifraga stolonifera)は
糞塊の上を通過した無機質な索状能動体に汚される。
無数の味蕾に無数のナイフを捧げる。


誰もいない公園に独りぼっちでいるときの空気感。
密度を高めつつ官能と断念。


身体ごと現実から遊離するしか・・・
地に足をつけたままでは不全感が襲ってくる。現実は詐欺だ。



・現代人形

精気を吸われたかのような三浦悦子の人形。

少年というより老年に見える。しかしこれが精気を吸われた後の姿なのだとしたら
見た目の年齢という概念自体が意味をなさないのかもしれない。

恋月姫天草四郎時貞の端正な顔だち。

少年?少女に見える。
天草四郎の人形は近年の恋月姫の作品しか見ていなかった私にとっては
恋月姫っぽくない」と思わせる作品で珍しいものが見れた。

天野可淡の少年は口もとがチャーミング。

悪戯っ子。

山吉由利子の少年はキュート。胸が締め付けられる。

私は基本的に「マリアの心臓」の暗い空間に好感を覚えるが、
山吉由利子の人形に関しては、「白い空間・背景」の方が似合っているような気がした。


人間が生きて動くのは、「時間」を生きて動くことでもあって、
そこには重層的な生命と死のサイクルがたえずぐるぐると回っている。


オートマタにはこういうホメオスタシスがない。連続した「時間」に支配されていないからだ。
言い換えると、ホメオスタシスに組み込まれている「死」に浸透されていない。
オートマタは、「死」に裏打ちされていない
突出した「生」のみを時々切り取って展開してみせるからこそ、
人々はその中に形而上的な別世界、聖なるものの世界、永遠の世界を託し想像することができたのだ。
人形やオートマタが人と神とを結ぶ「依り代」として働くのは、それが「死」を内包しないからだ。


動くオートマタは人間の模倣をしているのではなく、
死と時間とに縛られない天使の模倣をしているのかもしれない。


竹下節子『からくり人形の夢――人間・機械・近代ヨーロッパ』岩波書店,2001,p146-147)

からくり人形の夢―人間・機械・近代ヨーロッパ

からくり人形の夢―人間・機械・近代ヨーロッパ


少年とともに「天使」というモチーフがよく利用されている印象を受けた。
やはりここでは「少年」は「人間の模倣」のような下等なものであるはずがなく
「天使」の観念を背負っているとみる方がよいであろう。



生きていることに興味が湧かない。死ぬことにも興味が湧かない。

誰にも触れたくない
壊されたくないから
目覚めず このまま 眠っていたほうがいいんだ

L’Arc〜en〜Ciel「眠りによせて」

進化しない誰もに流れるこの血が 大嫌い

L’Arc〜en〜Ciel「DAYBREAK'S BELL」


・現代人形

中里絵魯洲の人形の顔部分には顔の代わりに玉子やガラスが収まっている。


人間がみんなきれいに消えてなくなって、
そんな世界になったとき


白い玉子のツルツル感と濁ったガラスの毒々しさこそが「少年そのもの」であったのだとわかる。




そもそも、このような関係性の幻想というものは、人間と機械の間にだけ起こるものだろうか。
人間が「理想の他者」に向けた関係性への渇望とその満足への希求は、
たとえそれが生身の人間同士の関係にあっても同じ本質をもっているのではないだろうか。

竹下節子『からくり人形の夢――人間・機械・近代ヨーロッパ』岩波書店,2001,p189)