自殺を美化する曲大好きっ子宣言!/9mm Parabellum Bullet「Supernova」で妄想

Imamu2008-06-01


自殺を美化する曲大好きっ子宣言!――My Chemical Romanceによせて

A phantom to lead you in the summer,To join the black parade.
(夏に幻妖がお前を連れていくだろう、黒いパレードに加えるために)


My Chemical Romance「Welcome to the Black Parade」)

マイ・ケミカル・ロマンスのファンだったという13歳の少女が自殺したという
ニュースを目にしてから、久しぶりにアルバム『ザ・ブラック・パレード』を聴きなおしている。

The Black Parade

The Black Parade

『Daily Mail』紙は、ティーンエイジャーが自殺した原因を報道するにあたり、
マイケミを“自殺のカルト・バンド”と称した。
自殺した少女の両親によると、
少女はテディ・ベアが首吊りするイメージをフィーチャーした
エモのウェブサイトをよくチェックしており、自殺を美化している傾向があったという。


My Chemical Romance : マイケミのファン、バンドの名誉挽回のためデモ行進 / BARKS ニュース)
http://www.barks.jp/news/?id=1000040234


それに対してマイケミはオフィシャルサイトで以下の反応を見せた。

My Chemical Romance are and always have been vocally anti-violence and anti-suicide.
マイ・ケミカル・ロマンスは常に、暴力反対、自殺反対のスタンスでいる)


(23 May 2008 - 6:29pm: A MESSAGE FROM MY CHEMICAL ROMANCE
http://www.mychemicalromance.com/news#node_453


このやりとりを見て、どうしても既視感を覚えてしまう。
「自殺を美化する危ない連中を排除すべし」という主張と
「オレたちはそんなんじゃない」という反論。
特に「オレたちはそんなんじゃない」に続く言葉が
大抵「むしろオレたちは希望や愛や生命の尊さを主題にしている」といったものに落ち着く構図に。


この種の展開は
別に実際に<自殺>という事象が起こったことに対する反論の際に急遽持ち出されるものではない。
例えば、『ザ・ブラック・パレード』発売時のインタビューでも
マイケミによる同様の発言を聞くことができる。

特にこのアルバムに関して言えば、僕達は“生”を直接的に象徴した物語を作りたかった。


マイ・ケミカル・ロマンス
『曲を通じて聴き手にメッセージを伝えていきたい!』-ORICON STYLE ミュージック)
http://www.oricon.co.jp/music/specialeng/061213_01.html


実際にアルバムを聴きなおしてみたが、
たまたま現在の私の体調が良いことが幸いして、自殺したいという考えにはならなかった。
「Welcome to the Black Parade」のPVを見ても
「死んで全てが終わる」ようなメランコリーな感覚よりも
「We'll carry on(僕らは続いていく)」
「And though you're dead and gone, believe me(例え君が逝ってしまっても、僕を信じてくれ)」
という部分に重点が置かれている。
続いていくために(何が続くのか?それは個々の聴き手に委ねられた問題かもしれない)
「ブラック・パレード」は盛大に行なわれているように思える。


順当に考えれば、
My Chemical Romanceの音楽が好きなことと、自殺に至ってしまったことを
直接の因果関係として結びつけるのは無理があるだろう。


だいたい、何かの曲を聴いて何らかのメッセージを受け取っただけで
人は自殺してしまうものなのだろうか。
ただの音の羅列と、ただの言葉の羅列で、人は自殺してしまうのだろうか。
そんなわけないじゃないか。



私には何も出来ない。死んでしまったHannah Bondさんの代わりにマイケミを聴くことぐらいしか。




――――――――――――――意識が途切れる・・・―――――――――――――――――――




「死を描くことで逆説的に生を際立たせる」という方法論は
「死」をテーマにした作品をつくるための免罪符のように機能している節がある。


「自殺を誘発しないような曲」など何の興味もないんだよーーーーーーーーーーーーーーー。
「自殺を誘発する曲」万歳。万歳なんだ。万歳なんだ。


強烈な音と、強烈な言葉で、思わず自殺してしまうよ。思わず自殺してしまうよ。





――――――――――――――意識が途切れる・・・―――――――――――――――――――


問題は「死を美化することの倫理的な断罪」や
「実は愛や希望を謳っているのだという主張」といった次元にあるわけではない。


自殺してしまうかもしれない、死に憧れてしまうかもしれない
そんな私たちが、どのように希望の言葉を紡げるのだろうか?
そういったギリギリの問いかけ部分にこそ焦点をあてるべきであろう。


マイ・ケミカル・ロマンスの関係者の証言によると、彼らは全員「甘党」なのだそうだ。
さあ、我々も血糊四本分の愛の言葉を携えてスイーツを食べに出かけよう。


――終――
●関連する以前の日記
マリリン・マンソンが好き。ボクの代わりに母親を殺した彼へ。ゴメンナサイ - 死に忘れましたわ







9mm Parabellum Bullet「Supernova」で妄想

9mm Parabellum Bulletの新譜「Supernova」を狂ったように聴いている。
本当に良いバンドだと思う。

Supernova/Wanderland

Supernova/Wanderland

「Supernova」最初は印象的なギターフレーズとサビの箇所のドラムが好きだったが
聴きこんでいくうちに、歌詞が気になってしょうがなくなってきたので、以下に妄想を垂れ流す。



サビの部分の歌詞から。

誰の胸も音を立てず粉々になるだろう
その欠片が散らばっても 集めたりしないで
満月の向こうに何を見ていたの?
砕けた星の海


「胸が粉々になる」とはどういう状態であろうか。
「胸=心=思い」であり、粉々になった「胸=心=思い」が
空にある「星の海」の沢山の欠片と対になっていると考えるのが妥当だろうか。


思いが空に届いている(もしくは届いていない)。


しかし、私は「胸が粉々になる」を肉体が実際に粉々に内側から吹き飛ぶ様だと想像したい。
ちょうど『北斗の拳』において
ケンシロウに北斗百烈拳をくらわされた者が「ひでぶ」と叫びながら頭や胴体が破裂するように。


よく、死んだら人は星になる、などと言うが、
バラバラに吹き飛んだ肉塊の欠片と「砕けた星の海」が対になっていると考える方が
私にとっては心地良いので、やはり、私はこちらを採用する。



書を捨て、金属バットを持って、街へ出よう。
見かけた人を殺してしまおう。殺してバラバラにしたらキレイな星になる。
そんなステキな星の殺人鬼。殺人気の星へ。




十万度の太陽を抱きしめた時
砂漠になった僕の頭は
吹き抜ける風に冷やされる度に
涙の雨の水滴がきらめいた


上記部分の歌詞。
「涙の雨の水滴」がびっしりで、白目だらけでフラフラしながら
今にも頭が「バーン」と破裂しそうな、「バーン」って。
飛散した肉片と血と汗が「ビシャッ!!」って。


アツイ、アツイ「ビシャッ!!」って。



歌詞を2番へ読み進めていくと
「十万度の太陽」が「十万度の体温を持つあの娘」に変換されていることに気が付く。
「音を立てず粉々」になる胸に対しては
「何もかもを照らし出して粉々」になるスーパーノヴァ(超新星)が配置される。

何もかもを照らし出して粉々になっても
輝くため燃やしたもの 忘れたりしないで


「十万度の体温で抱きしめてくれたあの娘のことを助けたいなら」
粉々になった後に胸の欠片を「散らばっても 集めたり」はしないで、

指先で触れるだけ
傷あとを開くだけ

そして粉々になった後に「輝くために燃やしたもの」を忘れないと決意する方がよい。



「十万度の体温で抱きしめてくれたあの娘」のために
粉々になった胸の欠片は「集めたり」してはならないのだ!!!!



「十万度の太陽」と「十万度の体温を持つあの娘」が結びつけられ
超新星」という宇宙の出来事と「粉々になった胸」が対になっている。
穿った見方をすれば「セカイ系」の主題に近いと言えるかもしれない。
ここでは「セカイ系」の定義の細かい話は脇に置いておいて
「内面の自意識の過剰」その結果としての「中間項を省いた世界との直結」
といったイメージで用いている。



もう一度サビの部分を見てみる。

誰の胸も音を立てず粉々になるだろう
その欠片が散らばっても 集めたりしないで


何故、粉々になった胸を集めることを拒絶しているのだろうか。


みんなの胸(心)が粉々になってそれを一つに集める行為を想像するとしたら。
エヴァンゲリオンの「人類補完計画」的なものであろうか。
9mm Parabellum Bulletボーカルの菅原卓郎の詩は
「みんな溶け合って一つになる」様を拒否しているように思える。


この詩中にある「満月の向こうに何を見ていたの?」
という問いに「あの娘」は決して答えてはくれない。


私たちは解り合えないまま、いつか粉々になるだろう。
「音を立てず」に。つまり何の前触れも予感もなく突然に。
でも「指先で触れるだけ」。その先には「十万度の体温」が・・・


――終――