NHKスペシャル「松田聖子 女性の時代の物語」感想プラスあるふぁ

Imamu2007-04-10

07/04/09/22:00〜22:49/NHK総合テレビ放送。
松田聖子が27年間にわたる芸能活動で、
初めて取材に応じたドキュメンタリー番組らしい。(少なくともそう宣伝している)
松田聖子を支持する同世代の女性たちにスポットを当てた構成。


結論から言うと、
この番組はタイトルに「女性の時代の物語」と冠しているだけあってフェミニズム色が強かった。
しかも、こう言っては失礼かもしれないが、古臭いフェミニズムだった。
だが、あえて古臭いフェミニズムと言い切るのは
コンサート映像で観客として映っていた多分ゲイと思われるファンの人をこの番組では無視しているからだ。
では具体的にみていこう。


・<仕事と子育ての両立>・・(結婚し出産してもアイドルを続けた。→「ママドル」)
・<自分のやりたいことを貫き通す女性>・・(マスメディアによる松田聖子バッシング報道)


基本的に上記のようなテーマで話が展開していて
間に松田聖子の生き方に共感し彼女にある種の理想像を見る女性たちの物語を挟んでいた。
しかし、松田聖子はこの番組の構成が押し付けようとしたフェミニズム的象徴という役割を
とっくに飛び越しているような気がしたのは気のせいか、気のせいじゃないのか、それとも気のせいか?


後、個人的にはもうちょっとアイドル全盛時代のことに触れてほしかった。
だからこれは二時間番組にして、最初の一時間ぐらいをデビュー当時から結婚するときまでの軌跡を追い
残り一時間を今回の放送のようにフェミニズム全開の洗脳番組にすればバランスがとれたのではなかろうか?



90年代も「男視点」の活版・女性週刊誌??

90年代に女性週刊誌を中心に
松田聖子の私生活をスキャンダラスに取りあげる報道が目立つようになる。


番組によると、この時期に女性週刊誌は松田聖子「擁護派」と「バッシング派」に分かれて
それぞれの立場から記事にして部数を伸ばしていたらしい。
大宅壮一文庫」の「人名索引総合ランキング(2007年2月調査)」を見ると*1
田中角栄長嶋茂雄をおさえて、松田聖子が堂々一位(4,675件)を獲得している。


当時、松田聖子「擁護派」だった編集長のインタビューにおいて
マスコミが松田聖子のバッシングに走った背景について語っている部分があった。
その方によれば、当時は(と言っても1990年代の話なのだが)
女性誌も女性の芸能記者が少なかったので、
記事タイトルも中身も「男の目、視点」で書かれていることが多かった。
「男の視点」の<型>で松田聖子を見ようとしたから、
バッシング記事が多くなったのかもしれないと、そうおっしゃっていた。

「男の目」で選んではいけない女性ファッション誌??

正直、わずか十数年前の女性週刊誌が「男の視点」中心だったという話にはビックリしてしまった。
私は『週刊女性』も『女性自身』も『女性セブン』も読まないので、真偽は定かではないが。


この話を聞いた時に『アンアン』という雑誌のことを思い出した。

アンアンの雑誌作りをしていると、
それまで経験したことのない自体にたびたびぶつかった。たとえば写真選びだ。
赤木洋一『「アンアン」1970 』p167)

「なぜ?写真としてはこちらもイイと思うンだけど」
「写真は良くても、カワイクナイです」
人を代えてみるが二人目も三人目も同じ選択をする。選んだ理由は「カワイイ」から。
それしか出てこない。理屈が皆無なのだ。あげくの果てには、こんなことも言われた。
「またオトコの目で選んでいる」
この判断基準「カワイイ」と「カワイクナイ」にはずいぶんと悩まされた。

女性誌の編集者として自身を失った、といってもよいぐらいだ。


赤木洋一『「アンアン」1970 』p168)

私は「女性誌」と聞くと、こっちの方を思いつくので、
同じ女性誌でも、中身はずいぶん違うものなのかもしれないと感じた。

アンアンのモデル-秋川リサ

そんなアンアンのモデルの一人であった秋川リサについての文章を引用。

その後隆盛をきわめることになる「かわいい」という形容詞が力を持ち始める素地が、
このあたりから生まれていく。それは、彼女の外見と同時に、
当時『an・an』で頻繁に使われ「アンアン語」たる異名もとった、
「でえーす」「まあーす」と語尾をのばす舌足らずの言い回しと共に、
またたく間に、若い娘たちの中に浸透し、流行した。


そういう意味では、秋川リサは、男に向けてではない、女に、
とりわけ来るべきファッション化時代に強い関心を持つ若い女たちを中心に支持された、
新手の感覚派のアイドルだった。


島森路子『広告のヒロインたち』:10おんなの革命児でーす−秋川リサ

アンアンからりぼんへ

1970年に創刊した雑誌「アンアン」について書かれた文章にでてくるキーワード「かわいい」。

芸能スキャンダルを放逐したファッション女性誌とは、
モノによって自分を表現することにしか関心のなくなったミーイズム(私生活主義)
の読者大衆を対象に、消費社会の幕あきを宣したのであった
上野千鶴子『<私>探しゲーム』より)


そして、宮台真司大塚英志が論じている1973年頃からの「乙女ちっく少女漫画」へ繋がる。

70年代初期のフォーク・ミュージックに見るように、
「<私>らしい私」のムーブメントは、それを最初に牽引した年長の若者にとって、
過去のいきさつと結びついた時間性を帯びていました(『an an』的なもの!)
ところが年少の少女たちは、それを無時間的に読み替えてしまいます(『りぼん』的なもの!)


宮台真司 (著), 大塚明子 (著), 石原英樹 (著)
サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』

バッシング報道を逆手にとったCM出演

話がそれてしまったので、元に戻そう。
松田聖子のバッシング報道がピークをむかえたのは1994年らしい。
松田聖子はそんなメディアの報道を逆手にとったCMに次々と出演し始めるのだ。


・1992年:「キンチョーゴン」-ニューヨークの街。(アメリカ進出の時のマスコミのバッシングをネタに)
・1994年:「コーセーアミノマイルド」-「あっちもダメージ、こっちもダメージ、でも負けない!」
・1994年:「たかの友梨ビューティークリニック」-外国人ダンサーと絡みあう。
・1994年:「日清食品」-神田正輝と「家族の焼そば」を焼く。


これらのCMを見れば松田聖子が自らのキャラクターにいかに自覚的であるかよく解る。
メディアがつくりあげた「松田聖子」のイメージを松田聖子は意図的に利用する。
「ぶりっ子」にもなれば「自分の人生を生きる強い女」にもなり、それが一人の人間に同居している。

キャラとメタとぶりっ子のお話

私が一人で勝手に考えている
小倉優子の<ベタこりん星>から<メタこりん星という妄想のお話があるのだが
これはどういう妄想かというと
小倉優子が自らのキャラクター性にどのような対処をとってきたかという歴史の記述として考えている。


自らの虚構性に対してどのような態度をとればよいのか?
これは正しく「アイドル的問題」と考えてよいのではなかろうか?(もちろん芸能人一般の問題でもあるが)
その対処の仕方という意味で松田聖子は面白い存在だと思うし、やはり松田聖子はアイドルなのだ。


私は「自らの存在の確かさ」を感じることが出来ない弱い人間だ。
だから、虚構と現実が入り混じっている「アイドル的存在」を面白いと感じる。
特にその虚構性がはっきりと見て取れる「ぶりっ子」などは、神のごとく崇め奉っている。


因みに2007年4月10日現在、Wikipediaのぶりっ子の項目に
ぶりっ子と称される有名人」で挙げられている人たちは以下である。

井上貴子松田聖子中川翔子さとう珠緒小倉優子華原朋美
山口もえ時東ぁみ嘉陽愛子嗣永桃子安めぐみ

小倉優子中川翔子は個人的に神認定しているので、まぁそうだろうなぁというところだが、
なるほど、ハロヲタの皆さんが騒いでいるBerryz工房嗣永桃子の名前も入っている。
私もそろそろ頑張ってBerryz工房のメンバーの顔と名前ぐらい覚えなくちゃいけないかもしれない。


松田聖子の写真をデビュー時から撮り続けている篠山紀信はこの番組のインタビューで
「彼女は時代を背負ってしまっている」
松田聖子は死ぬまで松田聖子でなくてはならない」
と語っている。これは過酷だなぁと思った。そんな簡単に「死ぬまで」なんて言っちゃってよいのか?
ただ、松田聖子はやってしまいそうな気がするから不思議である。

赤いスイートピー

赤いスイートピー

関連する以前かいた日記

・『松田聖子のポスターと「男・女」という偽装http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20061012/p1
この文章自体は、性同一性障害という医学的なものを、社会学的に見るとどうなるか
という話なのだが、その際に「虚構としての女性性」の象徴として松田聖子を取りあげた。
つまり、「虚構性」は芸能人・アイドルだけの問題ではなく、私たち一般人の問題でもあるのではないか?
だから私は、アイドルの虚構性をただ「バカバカしい」と笑うことは出来ない。


・『超適当なアイドル私論http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20060421/p1
山口百恵から松田聖子。そして小倉優子ゆうこりん)と中川翔子しょこたん)を繋げて書いてみた。